私は網走刑務所の教誨師を十二年間させていただいた。毎月一回の集会と個人面談をした。刑務所の機関誌「樹氷林」に特別寄稿として「台湾巡回記」の記事が載っている。
十月一カ月間、台湾山地の教会を二〇カ所ほど巡回した。海外に行くのは初めてであるので、子どものようにはしゃぐ反面、大阪空港を離陸する時には、急に淋しさが襲ってきて涙が浮かんで来た。聖書の間から八年間も見慣れた妻の写真や四人の子どもの写真を出して中華航空機の中で眺めた。一人旅であるが神が共にいて下さるので心強い。
大阪から二時間で一五〇万都市台北に着いた。土着部族が十部族山地に住んでいるが、アミ族を中心に訪問した。日本語を三十五歳以上の人達は理解出来る。今から七十年前まで他部族の首を狩る(切る)習慣があった。政治の力も教育の力も根強い悪習慣を止めさせることが出来なかったが、イエス・キリストの十字架の愛を受け入れてから首狩りを完全に止めたという。
どんな深い山の中にもみんなの手で築いた教会が建っている。毎朝四時から二〇名、三〇名と信徒が集まって祈り、聖書を学んでいる。コンクリートで固められた床にハダシで集まって来る。鶏が入って来てコケコッコーと鳴いて時を告げた。どこの村も教会の賛美と祈りによって始まっているように思えた。
オートバイを持っている人は恵まれている方であり、自家用車を持っている方に会えなかった。公害とか交通戦争と叫ばれている日本のあり方を考えて、幸福とは何か考えないわけにはいかなかった。
私が訪問したのを歓迎して、アミ族(高砂族)の踊りを一時間も踊ってくれた。おもちをついたり、庭に放し飼いしているニワトリやアヒルを殺して御馳走してくれた。年に三回お米が取れるので米食であるが、日本の漬物と味噌汁が恋しかった。風呂は行水であり、トイレの無い家にも泊まった。高さんと言う七十五歳のクリスチャンの老女を訪問した。
日本に来た台湾の牧師によって三十五年も行方不明だった二人の息子が岡崎市と九州で見つかった。私が息子さんのテープに入れた声と写真を高さんに届けた。「お母さん、許して下さい」と言う三十五年振の声に、白髪のお母さんは一晩中泣いた。郷里の川原や山や小学校の写真をうつしてきて岡崎市にいる五十三歳の息子さんに届けた。息子さんも泣いた。一カ月の疲れも除かれた一瞬だった。(網走刑務所機関誌「樹氷林」)
工藤公敏(くどう・きみとし):1937年、長野県大町市平野口に生まれる。キリスト兄弟団聖書学院、ルサー・ライス大学院日本校卒業。キリスト兄弟団聖書学院元院長。現在、キリスト兄弟団目黒教会牧師、再臨待望同志会会長、目黒区保護司。