キリスト兄弟団機関紙「祈の友」(一九六八年十月)に私が網走教会を紹介している。次にその文を紹介したい。
網走と言えば、多くの人々は北海道の端、刑務所のある町を連想し、暗い淋しい町を想像されることであろう。しかし、一度この町に足を入れたならば、そのような思いは吹き飛ばされてしまう。道東と思われぬ活気ある町並、そして原生花園、放牧、網走湖などの自然の美しさに囲まれているこの町の素晴らしさに目が奪われるからである。レジャー・ブームの今日、自然の美しさを求めて多くの人々が夏になるとやって来る。その人々によって町は潤される。また、教会も伝道の好機とやって来る巡回伝道者によって豊かな霊的恵みを受ける。夏はキリスト者にとっても、未信者にとっても恵みの時である。受けた恵みを証ししなければならないと思って、過日市内の二つの教会と合同で映画伝道会(第五次元の男)を行った。約三百名の人々が集まり、福音に耳を傾けた。又市内連合で本田クルセード(本田弘慈先生)を予定し、祈りのうちに準備をすすめている。未だ福音を聞いてない人々が数多くあることを思う時に、伝道に励まなければならないことを痛感する。
当教会には、壮年会、婦人会、青年会が組織され、聖書配布、敬老会、聖書研究、市民クリスマス、夏期聖書学校にと、それぞれのタラントを用いて働きをしている。
又「一麦会」と言う会を作り、礼拝前に祈祷会を開き、礼拝のためにひたすら祈っている。更に、一人の人の救いによって約二〇名の人が救いに導かれたこと、家族の人が殆ど救われているのを見て、牧師、信徒、求道者の三者の関係を密にすることの大切さを教えられた。個人伝道訪問委員会を作り、祈りつつ伝道しようと計画している。これらは現在の活動であるが、ここに至るまでに自らを捧げ尽くした人々を忘れてはいけない。常に弱き人の味方であり人々から尊敬され、敬虔な信仰をもって教会作りの基礎となった弁護士、仁平先生、現在の会堂のために労し、突然天にめされた村山兄、天理教布教師より改心し忠実な僕であった宮森兄等、数多くの人々が天に帰っている。
毎年七月に持つ合同追悼礼拝で写真を見ながら天国も網走の人々で賑やかなことだろうと思った。
十三年間、この北の果ての町網走、一冬、五トンの石炭が燃料として必要な寒い町、流氷に覆われてしまう町に黙々と伝道された初見先生ご夫妻の労を忘れてはならない。このような者が、こうして奉仕出来るのも初見先生によって訓練された愛兄姉の助けによるものである。
聖歌五三〇番「悩む世人のために」は、よく集会で歌われる。深みの伝道の叫ばれているこの時に家庭集会、個人伝道を通し、主イエスの香りが網走の隅々に、北海道中にいや全世界に及ぶことを願っておる。
地方教会は何時でもそうであろうが、毎年数名の教会員が都会に出て行く。然し行った先で教会に連なり、信仰を全うしておられるのを見ると慰められる。これらの人々が更にキリストの香を放つものとなることを願っている。
主イエス・キリストの後再臨の近いことを覚え、祈りつつ教会員一同と戦っている。主にある全国の皆さんのお祈りを覚え、感謝しながら紹介を終わる。
工藤公敏(くどう・きみとし):1937年、長野県大町市平野口に生まれる。キリスト兄弟団聖書学院、ルサー・ライス大学院日本校卒業。キリスト兄弟団聖書学院元院長。現在、キリスト兄弟団目黒教会牧師、再臨待望同志会会長、目黒区保護司。