聖書を開いてみよう。
ヤコブの11番目の息子、ヨセフは神の夢を見た。
彼が見た夢は、兄弟たちの束がヨセフの束におじぎをする夢、太陽と月と11の星がヨセフを伏し拝む夢。このことは兄たちの嫉みと妬みを買ってしまい、ユダの提案によって、ヨセフは銀貨20枚で売られた。エジプトで奴隷生活を送りながらも、ヨセフは自暴自棄になることはなかった。神の知恵がいつも彼にあり、パラオの夢を解釈してエジプトの総理大臣になった。彼は世界の飢饉を救った。
結局、ヨセフの夢は現実のものとして叶えられた。
彼が人生の試練と誘惑の中で変質することなく、神の夢を現実のものにした力は何だろうか。それはヨセフの神に対する「信仰」であった。
神の子イエスは神の御言葉を述べ伝えた。
イエスの教えと行いは権威と力とに満ちていた。このことはパリサイ派と律法学者らの嫉妬を買ってしまった。イスカリオテのユダの裏切りによって、イエスは銀貨30枚で売られ、十字架につけられた。しかし、イエスは死から復活し、天に上げられた。イエスによって全世界が救われた。
十字架を超えた復活。この世の誰も勝つことができなかった「死」に勝つ力。この力は何だろうか。それは、イエスの父なる神に対する絶対的な「信仰」であった。
この世で暮すクリスチャンの実存的な姿は、奴隷になったヨセフ、王の献酌官になったネヘミヤ、逃げ惑うダビデ、苦難にあったヨブ、石に打たれるステパノ、監禁されたパウロのように困窮するときがある。外的な束縛がなくとも、主イエスを三回も否定して逃げてしまったペテロのような弱さ、罪を繰り返して苦しむ我々の実の姿がある。
我々にどのような困難や弱さがあったとしても、そのすべてに勝つことができる力は「信仰」である。イエスの夢を見る者が信仰を持って、その夢に向かって前進していくとき、夢は現実として現れる。