人は誰でも、今の自分よりもっと向上したいと願っています。しかし、いつの間にか自分の限界だけを身に沁みて知るようになり、仕方がないんだとあきらめたまま、生涯を過ごしてしまう人々が多くいます。
聖書は、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(IIコリント5:17)と力強く宣言しています。
結論から先に言えば、イエス・キリストを信じることによって、人は新しく生まれ変わり、新しい可能性と輝きの日々を生きることができるのです。永遠にしぼまない輝きに満ちた人生は、イエス・キリストによってのみ可能です。そのためにこそ、イエス・キリストは十字架上に死に、墓に葬られ、三日目に復活されたのです。
全人類の罪は、イエス・キリストの十字架によって贖われました。
「自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義にために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたはいやされたのです。」(Iペテロ2:24)
イエス・キリストを信じることによって、聖く正しい人生を大手を振って生きてゆけるのです。そればかりでなく、この箇所にはすべての病がいやされる約束が高らかに宣言されています。肉体の病も、精神的な弱さもです。
さらに聖書は、「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木(十字架)にかけられる者はすべてのろわれた者である』と書いてあるからです。」(ガラテヤ3:13)とあります。すべての悪霊や先祖からの遺伝子的欠陥や、不幸な運命など、あなたを捕らえていたすべてののろいから解放されるのです。
また、「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」(IIコリント8:9)と、イエス・キリストを信じる者が、その十字架の救いにより豊かに生きることができる、と約束されています。
「あなたがたは、すべてのことに、すなわち、信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、私たちから出てあなたがたにある愛にも富んでいるように、この恵みのわざにも富むようになってください。」(IIコリント8:7)とあるように、経済的に富むだけでなく、この書で述べてきたすべての可能性にも、富むことができるのです。
さらに、イエス・キリストの十字架は、人間の本質的な問題である死を解決し、永遠の天国を約束してくれます。どんな可能性に満ちた人生にも、終わりの時が訪れます。もし生きている間だけの幸福であるなら、動物と何ら変わりません。永遠の天国へと死を越えて生きる確信がなければ、可能性も絶望に終わります。
「これは、その死によって、悪魔という死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。」(ヘブル2:14?15)
この本を読んでくださったあなたが、すばらしいクリスチャンになってくださることを信じて書きました。クリスチャン生活は、実にすばらしい祝福の体験です。可能性に満ちた人生の鍵は、「イエス・キリスト」です。
「私は、私を強くしてくださる方(イエス・キリスト)によって、どんなことでもできるのです。」(ピリピ4:13)と聖書は約束しています。
本書で書いた可能性へのキーワードは、実は「イエス・キリスト」なのです。
イエス・キリストによって、自身を持ち、ハンディキャップに打ち勝ち、熱意に溢れて人生を生きて下さい。期待し、大きな求めを胸にし、受けるよりは与える方が幸いであることを、ギブアンドギブンの愛で生きて下さい。
イエス・キリストによって、成功意識を身につけ、成功する目標を設定し、問題解決の道をストレスから解放されて、力強くお進み下さい。
イエス・キリストによって、成功を導く人間関係を愛によって築き上げ、さらに向上し続け、時代を導くリーダーとして、限りない可能性に輝く人生をお励み下さい。
(C)プレイズ出版
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書「輝き・可能性への変身」(2000年、プレイズ出版)は、同師が「ラジオ番組 希望の声」シリーズとして出版したもの。机上の空論ではなく、著者自身がその生涯において実現し、今も継続している生きた証しを紹介している。