平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイ5:9)
今年の8月の2週間、第24回世界改革教会連盟(WARC)総会がアフリカ・ガーナにて開催され、代議員としてその総会に出席する機会が与えられました。総会には全世界107カ国の218教団・教派からキリスト者が1,000名程集まりました。その総会期間中に、“巡礼の旅”と称したフィールド・トリップがもたれ、15世紀末頃からアフリカの人々を奴隷としてヨーロッパやアメリカ大陸に輸送するための拠点であったケープ・コーストとエルミナ港にある奴隷城なども訪ねました。暗い地下牢で、韓国から参加された女性神学者とある黒人の参加者は、500年前の黒人奴隷のつらさを思い、すすり泣きをし、ある白人の参加者は涙して告白しました。それは、自分たち白人は宗教改革の頃、教会の教理に対しては命をかけて闘っていたが、実はその時にも、目の前にいる、最も汚くつらい仕事をさせられ、最も虐げられている黒人奴隷のことは全く眼中になく、むしろ彼らが奴隷でいるのは当然であると考えていたのではないかということでした。この黒人奴隷の問題に対しても、共に闘い、黒人たちを奴隷状態から解放するべきだったのに、そのようなことには全く気付かなかった、という自分たち白人の罪を告白し、悔い改めて泣いていたのでした。
WARC会議では、主に南北国家間の経済格差について話し合われました。私自身も、現在においてはアメリカ、ヨーロッパ諸国、日本同様、経済的には北側の豊かな国に属している者です。今回の会議を通して、日頃の生活の中で豊かさに慣れ、貧しい国々に属する人々を顧みない罪が示され、悔い改めの必要性を感じさせられました。アフリカの現状や、現在も貧しい国々に対する正しい理解と支援の必要性などを伝えていき、いと小さき者と共に生きるという平和教育をしていくことも、私たちの使命の一つであると考えます。平和とは、ただ戦争がない状態であればいいのかというとそうではないでしょう。それはむしろ消極的平和です。本当の平和とは、一人ひとりが安全であり、人権が保障されている状態だといえるでしょう。そして、そのような状態を作り出す者もまた私たち一人ひとりなのです。そのために自らを教育し、教育されていく必要があるのではないかと思います。また、社会的弱者、すなわち、少数者(Minority)、難民、障害者、日雇い労働者、いじめや家庭内暴力などの問題を抱える者、引きこもりや自殺願望のある者、エイズやアルコール中毒者の課題などとかかわることを通して成熟していく面もあり、このような、社会と共に歩む平和教育が切実な時になっています。
在日大韓基督教会 総幹事 朴寿吉(パク スキル)