イスラム教徒から改宗したキリスト信者の牧師夫妻の子どもとして生まれた9歳の少女モリョム(本名は伏せてある)は、将来、母のような教師になりたいと願い、信仰を理由とする日常的な迫害がある中、それでも学校に行くことをやめなかった。(第1回から読む)
教師たちだけが彼女を助けられる存在だが、彼らもまた、見て見ぬふりをしているのだ。「ある日、学校の屋上でイスラム教徒の友達と遊んでいました。その子が突然(1階建ての建物の)屋上から私を突き落としました。体中に擦り傷ができて、とても痛かったです。先生に訴えましたが、彼らは何の対応もしてくれませんでした。ただ一人の先生だけが私の話を聞いてくれました。先生たちが私の問題を聞いてくれないので、もう学校に行きたくないと思いました。とても怒りを感じたのです。しかし、それでも彼らを赦(ゆる)してくださるよう、イエス様にお願いしました」
モリョムの身の上話を聞いて、ひどい仕打ちに耐えるモリョムは、クラスメートや教師たちを憎んでいるだろうと思う者もあるかもしれない。しかし、まだ子どもに過ぎない彼女だが、神はその幼子の信仰を通して働いておられ、その力が彼女の中に現れているのだ。モリョムはこう言う。「私は彼らの意地悪にいちいち反応せず、ただ祈ります。そして全てをイエス様に話します。それから私は、彼らのためにたくさん祈ります。どんなことがあっても、私は彼らを赦します」
モリョムは、学校だけではなく、村でも困難に直面している。ある日、両親が家にいないときに、村のイスラム教徒の女性たちがモリョムをイスラム教に改宗させようとしたことがあった。「一人で道を歩いていると、地元のムスリムの女性指導者たちに会いました。彼女たちは私を呼び止め、ついてくるように言いました。そして、私にチョコレートを与えながら、コーランの一節を繰り返すよう言いました。彼女たちは『アッラーの他に神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒である』と言わせたのです(これはシャハーダというイスラム教の信仰告白であり、改宗者が唱えるものだ)。その後、家に戻ると、両親がどこでそのチョコレートを手に入れたのか尋ねてきました。私は宗教指導者たちからもらったと答えました。両親は非常に怒り、私をたぶらかした彼女たちを追いかけました」
モリョムがどれほど抑圧されても、日曜学校でイエスについて学んだことが彼女の信仰を支えている。痛みを感じないわけではないが、彼女なりに、イエスの弟子として生きることには代償が伴うことを理解しているのだ。その信仰故に、モリョムは他人を赦すことを選ぶのである。「私たちがクリスチャンであり、イエス様を受け入れたからこそ、彼らはこんなふうに私たちを扱うのです。イエス様が私の罪のために十字架で死んでくださったので、私は友達の間違いを赦します。私をいじめる人々、侮辱する人々、憎む人々、愛してくれない人々、私はみんなを赦します。本当に悲しくなり、時々泣きますが、私はクリスチャンだからこそ、彼らを赦すのです」(続く)
■ バングラデシュの宗教人口
イスラム 89・0%
プロテスタント 0・5%
カトリック 0・2%
ヒンズー 9・1%
仏教 0・6%
土着の宗教 0・5%
◇