これは羊毛または亜麻の衣服、あるいは縦糸、あるいは横糸、あるいはすべて皮で作った物に生じる悪性のかびについて、それを清い物とし、または汚れた物とするためのおきてである。(レビ13:59)
キリストが十字架にかけられたことで、私たちは罪を赦(ゆる)され、病も癒やされたのです(参照・イザヤ53:5)。何という素晴らしい恵みでしょうか。では、私たちが主にあって神の義であるという真実(参照・2コリント5:21)を体験することを、妨げているものは何でしょうか。
● 否定的なセルフイメージ
あなたはどのようなセルフイメージを持っているでしょうか。多くの人は、自分に対して否定的なイメージを持っています。「自分はそもそも駄目な存在だ」「自分は精神的に問題があり、弱い存在だ」といったものです。しかし御言葉には、私たちがキリストと同じようであり(参照・1ヨハネ4:17)、恐ろしいほどに素晴らしく創造されている(参照・詩編139:14)と書かれています。
この真実を受け入れ、告白し続けましょう(参照・箴言18:21)。
● 罪を受け止め、苦しむ赦し
キリストが示された赦しは、相手の罪を受け止め、自身が苦しむことでもありました(参照・マルコ11:25)。この世には試練や苦難があります(参照・ヨハネ16:33)。この真実を避けるのではなく、受け入れることが大切です。そのときにむしろ、私たちは安息と平安を体験できます。自由も体験できます(参照・ヨハネ8:32)。
あなたが直面すべき試練や苦難があるという真実を受け入れ、主にあって安らぎましょう。
● 愛は全てを信じる
自分で自分を責め立てて、苦しんでいないでしょうか。愛は自分を含め、全てを信頼します。そして愛は、相手の最善を信じます。その動機を含め、いつも相手を懐疑的に、否定的に考えてしまう姿があれば、その反対に、相手の最善を信じることです(参照・1コリント13:7)。
どんなに相手の対応がひどかったとしても、相手が良い動機でそれを行ったと信じることを選択しましょう。
● 相手の良い面を見る
私たちは無意識のうちに、相手の否定的な側面を見る傾向があります。聖書は私たちに、優れた、称賛に値することに心を留めるようにと教えています(参照・ピリピ4:8)。たとえ考えたくないと思う相手のことであっても、良いことに関しては、神様に導かれれば一日中考える覚悟を持つことが大切です。
ひどいことをされたと感じる相手のことであっても、あなたが感謝すべき、良いことを思い起こしましょう。
● 恐れとは、逃げること
失敗に対する恐れから、何度も考え込んでは立ち止まり、前進できないでいる姿はないでしょうか。ルカの福音書12章7節などにある「恐れ」というギリシャ語「phobeo」には、「引き下がる」「逃げる」「避ける」といった意味が含まれています。恐れとは、感情ではなく、選択と行動なのです。
私たちは、たとえ恐れを感じたとしても、前進することを選択しましょう。
以上のことを覚えて、神の義とされた者として、キリストの安息に入りましょう。キリストは私たちを安息へと招かれています(参照・マタイ11:28)。御言葉の真理が、私たちをあらゆる縛りから自由にします(参照・ヨハネ8:32)。
GOD BLESS YOU!
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