ゴスペルソングに「もう振り向かない」という曲があります。その一節に「もうつぶやかない」という歌詞があります。若い人にとっては「つぶやく」と聞くと、X(旧ツイッター)を思い出すかもしれませんが、不平不満のことです。
試練・患難を呪い、神が与えられるムチに対して「なぜ私はこんなに苦しまなければならないのだろう。どんな悪いことをしたので罰を受けなければならないのか」とつぶやくのです。それは神の最善の知恵によるものなのに、不平不満を言うことは正しいのでしょうか。
もし、神が私たちの罪に従って裁くとしたら、イエス様が十字架で背負われた罰を受けなければならないのです。火で金を精錬するように神は私たちを清め、御心にかなう者にしようとされているのです。
そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。(ヘブル12:5〜11)
試練・患難は、神の愛による訓練なのです。それに対してつぶやき、不平不満を言うのではなく、神のしつけと矯正を素直に受けたいものです。
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