カイロの「ゴミの街」に有名な洞窟教会を建てたコプト正教会司祭のアブーナ・サマーン氏が昨年10月、81歳で天に召された。4万人以上もの人々が「革なめしの聖シモン修道院」に集まり、コプト正教史上おそらく最大のキリスト教葬儀が執り行われた。彼の名声は国内外に広がっているのだ。これは彼の驚くべき物語である。
黒衣と白ひげの司祭は、1941年にファラハト・イブラヒムという名前で生まれた。ごく普通のエジプト人キリスト信者だった彼は、聖マルコ・コプト大聖堂の印刷所で植字工として働いていた。やがて彼は、正教会内のコプト・リバイバルグループである「魂の救済協会」を通して、個人的に主を知るようになった。
1972年のある日、彼は近所のゴミ収集人であるキディーズをキリストに導いた。キディーズは地域のゴミを13マイル東、モカッタム山脈のふもとにあるシャンティタウンまで運んだ。そこでは、非常に貧しいキリスト信者のコミュニティーが有用なゴミをリサイクルし、残飯を豚の餌にして生計を立てていた。
イスラム教徒は豚を不浄なものと見なしているため、この「ゴミの街」は事実上コプト教徒だけで構成されていた。キディースと同様、彼らの大多数は聖書をほとんど知らず、病気がまん延するこのスラム街には教会も牧会ケアもなかった。多くの人はアルコール中毒や麻薬中毒者で、時には非常に暴力的でさえあった。
ファラハトのもと、2年間の弟子訓練を受けたキディースは、ファラハトに自分の家族を訪問して伝道してほしいと頼んだ。しかしファラハトの当初の反応は、恐怖に満ちたスラムへの嫌悪感だった。
その頃、この地域には1万4千人のコプト教徒が住んでいた。渋々キディースの家族を訪問し始めて数カ月がたった。するとキディースの妻と7人の子どもたち、そして多くの隣人たちが主に帰依したのだ。毎週の集会で集まっていた葦ぶき屋根のトタン小屋はすぐ手狭になり、人数が増えるに従って、ファラハトは「魂の救済協会」の裕福な友人たちを説得して寄付を募り、小さな教会を建てた。
人々はファラハトに自分たちの司祭になってくれるよう望んだ。この要請に気が進まなかった彼は、嫌々ながらゴミの街の上にある小さな洞窟に入って幾晩も祈った。そうしていると、どこからともなく使徒の働き18章から切り取ったアラビア語の聖書の切れ端が彼のもとに飛んできた。そこには「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」(使徒18:9、10)と書いてあった。
彼はこれを、自分に対する神の召命だと確信して受け取ったのだ。(次回に続く)
■ エジプトの宗教人口
イスラム 86・7%
コプト教会 11・6%
プロテスタント 0・9%
カトリック 0・4%
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