1. 逆風と波に悩まされる
人生はある意味で「湖の上を小舟に乗り、向こう岸(目的地)にこいでいく」ようなものである。天気予報を調べて今日は大丈夫だと思い、太陽の日差しを浴び、心地よいそよ風に押されながら、美しい湖の上を順調にこいでいく。歌をうたい生きる喜びを神に感謝する。このような順風満帆の毎日でありたい。
しかし、予期しない天候の変化により、逆風と波に襲われ、舟が転覆するほどの困難に陥ることがある。そんなときにどう対応したらよいのか。帆をおろし、舟に入った水をかい出し、積み荷を舟の外に捨てたり、あらゆる努力を試みるであろう。
それでもどうにもならないときはどうしたらよいのか。もちろん、神に助けを求める以外に方法はない。
2. 神は近づいて来てくださる
最近、ある牧師の息子さんの証しを聞いた。
「僕が10歳の時に父が心臓まひで亡くなりました。悲しみと絶望に打ちひしがれ、僕は自分の部屋でベッドに座って泣いていました。すると、ドアが閉まっているのに誰かが部屋に入ってきたのです。一目でその方がイエス様だと分かりました。その方は僕の脇に座り、『わたしはいつもあなたと共にいる。だから安心しなさい』と優しく語って去っていきました。その瞬間、悲しみは喜びに、絶望は希望に変わりました。僕がニコニコして葬儀に参列していたら『きっと、お父さんが急に亡くなって、頭がおかしくなってしまったのだろう』と周りの人たちは思ったそうです」
数年後、彼が別の問題で苦しんでいたとき、イエスはもう一度現れて慰めてくれたと言っている。このような証しをこれまで10人以上の知人から直接に聞いている。ある教会員は、長年苦しんできた全身のアトピー性皮膚炎が、前の晩に自宅に現れたイエスがその人の頭に手を置いた瞬間に完全に治ってしまったと、興奮して日曜日の礼拝で証ししてくれた。
悩み苦しんでいる人に神は近づいて来てくださる。
3. 私とイエスとの出会い
実は、私も実在のイエスとの出会いを46歳の時に体験している。すでに洗礼を受け、人々に福音を伝え、教会では聖書を教えていた。でも、いろいろな問題に悩み苦しみ、信仰が大きくぐらついていたときのことである。
自宅の近くの喫茶店で帰宅前に、いつものように聖書を読み、気持ちを落ち着かせようとした。マルコ8章の「まだ・・・悟らないのか」(17節)と「まだ悟らないのか」(21節)の箇所を読み、同じ言葉が2度も繰り返されている意味を思い巡らしていた。
突然、全身が非常に温かいものに力強く包まれ、止めどなく涙があふれてきた。喜びの涙であった。姿を見たわけでもなく、声を聞いたわけでもないが、イエスが私の目の前におられることをありありと実感した。一瞬ではあったが、天国の栄光を垣間見た。
「イエス様が共におられるから、どんなことが起きても大丈夫なんだ。イエス様が私を天国へ連れて行ってくれるのだ」と心の底から悟った。喫茶店から出ると、街が天国のように見えた。枯れ木の街路樹がもろ手を挙げて神を賛美していた。道行く一人一人が神の子として生き生きと輝いていた。私が悩んでいた問題も間もなく解決してしまった。
その時から、私にとってイエスの実在(臨在)は、信仰で頑張って信じる存在ではなく、疑いようのない本当の事実になった。
「・・・ところが舟は、もうすでに陸から数丁も離れており、逆風が吹いていたために、波に悩まされていた。イエスは夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らの方へ行かれた。弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、『しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない』と言われた。・・・舟に乗り込むと、風はやんでしまった」(マタイ14:22~33)
「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(マタイ28:20)
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