本日2月22日は、2023年の灰の水曜日です。本日からレント(受難節)に入ります。教会暦で、イエス様の十字架への道をしのぶ季節です。当コラムでも本日から、イエス様の受難について伝えている22~23章を読みます。今回はその内、22章1~23節を読みます。
イスカリオテのユダにサタンが入る
1 さて、過越祭と言われている除酵祭が近づいていた。2 祭司長たちや律法学者たちは、イエスを殺すにはどうしたらよいかと考えていた。彼らは民衆を恐れていたのである。3 しかし、十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。4 ユダは祭司長たちや神殿守衛長たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた。5 彼らは喜び、ユダに金を与えることに決めた。6 ユダは承諾して、群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。
イスラエルの人たちは、モーセを指導者としてなされた、出エジプトの出来事を大切にしています。神様がエジプトに対する最後の罰として、エジプト人の初子(ういご)を撃たれたときに、イスラエルの人たちは家の鴨居(かもい)に羊の血を塗っていたため、災いを免れました。それを記念して、1年に1度、夜に子羊の肉を食べるのが過越祭です。
イスラエルの人たちは、神様がエジプト人の初子を撃たれた夜にエジプトを脱出しました。脱出するときは、時間がなくて酵母を用意することができず、練り粉だけであったため、彼らは酵母の入っていないパンを焼きました。それを記念して、過越祭の日から7日間、酵母の入ったパンを食べずに、酵母の入っていないパンを食べるのが除酵祭です。除酵祭は本来、過越祭に続く1週間ですが、「過越祭と言われている除酵祭」とあるように、互いに組み込まれて一つの祭りとなっています。
イエス様がエルサレム神殿で教えられていたときに、除酵祭が近づいていました。この時、祭司長たちや律法学者たちは、イエス様を殺すにはどうしたらよいかを考えていました。一方、時を同じくして、イエス様の12弟子の1人のイスカリオテのユダの中にサタンが入りました。これは、ルカ福音書だけが伝えていることです。
このことは、イエス様が荒野で悪魔から誘惑を受けた後で、「悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた」(4:13)とされていることを受けています。悪魔の誘惑の話は3つの共観福音書いずれにもありますが、悪魔が「時が来るまで」イエス様を離れたということは、ルカ福音書だけが伝えています。
20世紀のドイツの新約聖書学者ハンス・コンツェルマンは、悪魔がイエス様を離れた時からユダに再び入るまでのこの時を、「律法とイスラエルの時と、霊と教会の時との間の中間の時である」(コンツェルマン著『時の中心―ルカ神学の研究』49ページ)としています。この「中間の時」は、ルカだけが伝えている独自の概念です。
ユダに悪魔が入ったことは、イエス様や弟子たちが守られていた時間が過ぎ行き、現実の時間が戻ってきたことを意味しています。イエス様は宣教活動において、しばしば悪霊に取りつかれていた人から悪霊を追い出しました。それがそのままなされるのであれば、ユダからもサタンを追い出すことができたはずです。しかし、守られていた「中間の時」は終わりました。
ユダは、イエス様を殺害することを計画していた人たちに、どうやってイエス様を引き渡すかを相談に行きます。彼らはユダに金を渡す約束をし、ユダはイエス様を引き渡す機会をねらうことになります。
馬小屋へ、そして十字架へ
7 過越の小羊を屠(ほふ)るべき除酵祭の日が来た。8 イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、「行って過越の食事ができるように準備しなさい」と言われた。9 二人が、「どこに用意いたしましょうか」と言うと、10 イエスは言われた。「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、11 家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか」とあなたに言っています。』 12 すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい。」 13 二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。
イエス様が産まれた場所は、馬小屋といわれています。ルカ福音書2章7節に、「(赤子のイエス様を)布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」とあることから、馬で旅をしていたであろうヨセフとマリアが、馬の中継所に宿泊したのではないかなどともされています。
このことは、パウロのフィリピ書の記述「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕(しもべ)の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(2:6~8)に一致すると思います。僕の身分になられたことの象徴が、馬小屋での誕生であったのです。
上記の聖句は、「十字架の死に至るまで」で結ばれています。つまり、馬小屋と十字架がセットになっているのが、この聖句なのです。私は、このこととルカ福音書の伝える事柄に、興味深い関係を見ています。それは、イエス様が馬小屋と十字架へ、同じ場所から向かわされているということです。
7~11節では、イエス様と弟子たちが過越の食事をするための部屋を、ペトロとヨハネが準備することが伝えられていますが、イエス様は2人に対して水がめを持った人に、「弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか」と聞かせています。
この「部屋」という言葉のギリシャ語は、カタリューマといいます。一方、「布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」の「宿屋」もカタリューマなのです。ルカ福音書では、この言葉はこの2箇所にのみ見られます。
片方で、そこから十字架へと向かわされることになる最後の晩餐を行った場所を伝えているカタリューマ(部屋)が、もう片方ではそこに泊まることができなかったために馬小屋へと向かわされたカタリューマ(宿屋)として伝えられているのです。このことを、フィリピ書の上記の言葉と並列させると、興味深く読ませられます。カタリューマは、イエス様が謙遜な姿へと向かわせられる場所なのです。
ペトロとヨハネは、水がめを持った人に連れられて行った場所で過越の食事の準備をしました。
最後の晩餐
14 時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。15 イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。16 言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」
17 そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。18 言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」
19 それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」 20 食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。
イエス様は、弟子たちとの「最後の晩餐」となる過越の食事をされます。そこでのイエス様の言葉が、その後のキリスト教の礼拝、すなわち聖餐式のもととなっています。ルカ福音書だけが、ぶどう酒について「わたしの血による『新しい契約』」としています。これには、旧約聖書のエレミヤ書31章31~34節にある「新しい契約」を想起させられます。
ユダを友とするイエス様
21 しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。22 人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」 23 そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた。
上掲のレオナルド・ダビンチの「最後の晩餐」には、銀貨の入った袋を手に持っているイスカリオテのユダが描かれています。この時にユダが既に銀貨を手にしていたのかどうかは聖書からは明らかではありませんが、ダビンチの描き方は秀逸だと思います。
イエス様は、ユダがご自分を裏切ることを知っていました。しかしそのユダに対して、「わたしと一緒に手を食卓に置いている」と言われています。ユダをご自身の友と見なしているのです。ヨハネ福音書は、イエス様が最後の晩餐の時、ユダに対して「しかし、『わたしのパンを食べている者が、わたしに逆らった』という聖書の言葉は実現しなければならない」(13:18)と言われたと伝えており、「わたしのパンを食べている者」と、やはりユダを仲間と見なしています。
こういったことが、聖書では伝えられているのです。それは、ユダの最後の裏切りの場面でもそのようになされます。(続く)
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