【CJC=東京】イエス・キリストの生涯に深い関係を持つことになったユダヤのヘロデ王。その墓と見られる遺跡が発掘されたのは2007年のこと。エルサレムのヘブライ大学の考古学者は、さらなる確証を求めて発掘を続けている。
問題の場所は、エルサレムの南方約15キロのヘロディウム。イエスの生誕地ベツレヘムにも近い。07年の発掘の際の出土品から、学者たちは、円錐形の屋根を持つ2階建てのものと結論を出した。
発掘を指揮している同大学のエフド・ネツエル教授は「墓の位置が、ここに埋めよと王が誓ったことについて分かっていることと一致する」とENI通信に語った。発掘している場所が荒野のただ中にあり、周辺に町や村が存在していなかったことに注目している。
イエスが生まれたころのベツレヘムはとても小さな村だった。「ヘロデ王の天才的な思考と建設術が、ここに巨大な離宮を作ろうと思い立ったのだ。エルサレムとユダヤのエリートたちがやって来て楽しめるカントリークラブのようなものだ。そしてここが有名になると、王自身もここに葬られることを当然と思うようになった、と教授は言う。
「ユダヤの歴史学者ヨセフスの記述と私たちが発見したものの考古学的年代決定法の双方ともが、ここがたしかに王が葬られたいと意図した場所であることを示し、発掘が進めば、ここがその場所だとする調査は完結する。私たちはこの1年半の間、出土品を研究して、記念碑を復元すれば8階建て相当の高さ25メートルのものとなる、との結論に達した」とネツェル氏は言う、さらにこの記念碑式の建造物はヘロデ王の好みにあっている、とも指摘する。石棺かそれに類したものが見つかる、と同氏は確信している。
これまでの発掘で、王の親族のものと見られる石棺の破片も見つかっている。
ヘロデは当時のローマ帝国から、紀元前37年から同4年までユダヤ王に任命されていた。エルサレムの第二神殿修復、マサダ宮殿やカエサレア港、ヘロディウム建設などで知られている。
ネツェル教授は、ヘロディウムが人工の丘の上に造られ、浴場、庭園、プール、座席650の劇場もあった、と言う。ロッギアと呼ばれる部分は劇場の最上部に置かれ、VIP用の展望台や応接室があった。当時のイスラエルでは知られていなかった壁画やプラスター(しっくい)も発見されている。ローマやイタリア南西部カンパニア地方で紀元前15〜10年頃に取り入れられていたものだ。そこでヘロデ王が職人をイタリアから呼び寄せた、と見られている。
この離宮は、当時のローマ世界の中では最大規模のもので、数千とは行かないものの、毎年数百人の訪問者があった、とネツェル教授は言う。離宮は紀元66年頃の第1次ユダヤ反乱の際に破壊された、ようだ。
発掘は、米ナショナル・ジオグラフィック協会の支援で行われており、その間の事情が同協会の雑誌『ナショナル・ジオグラフィック』の08年12月号に掲載されている。