聖書は「主を褒めたたえよ」と命じられます。しかしそれは、私たち自身に限定されません。全被造物に対して命じておられます。私たちは、自分自身だけで主を褒めたたえて、それで終わってはいけません。
彼らに主の名をほめたたえさせよ。主の御名だけがあがめられ、その威光は地と天の上にあるからだ。(詩篇148:13)
私は、路傍伝道でストリートライブをするときに、通行人や聴衆の心に響くようにと祈って歌っていますが、同時に「あなたも共に主をたたえましょう」と命じる気持ちを持って歌います。
もちろん、命じたからといって「分かりました」「アーメン」と素直に応じてくれる人もいますが、人はたいていあまのじゃくです。「やりなさい!」と言われれば「やりたくない!」と応じ、「やってはいけない!」と言われれば「やりたい!」と応じる罪の性質を持っています。
私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。(ローマ7:19)
説教をするときに、正しいことを語って「そうしなさい!」と言っても、「(そうすまい!)」という心を持たせてしまうことがあるのです。
というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。(ローマ8:7)
伝道する上で、人々に自ら「そうしたい!」という心を持ってもらうことが大切です。
エルサレムの娘たち。私はあなたがたに誓っていただきます。揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛が目ざめたいと思うときまでは。(雅歌8:4)
愛が目ざめたいと思うように働くのが「聖霊」です。「御霊の実は、愛、喜び、平安・・・」とありますが、聖霊が人々に働くことで、キリストの愛を感じ取り、信じさせ、応答させてくださるのです。
ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。(1コリント12:3)
聖霊に満たされて、全被造物がこぞって主をたたえるように、夢見、祈り、伝道の戦いをしていきましょう。その戦いとは、生まれつきの罪の性質である肉との戦いです。悪魔は、肉を働かせようと手を変え品を変えて挑んできます。また、罪の性質は、肉でことを行わせたいとうずうずしています。しかし、肉は何も良いものを生み出しません。
肉にある者は神を喜ばせることができません。(ローマ8:8)
肉は、敵対心、競争心、自己満足などが動機となり、神の働きを壊してしまいます。私たちの戦いは、この肉を働かせないことの戦いです。それは、聖霊によって肉を十字架につけ続けることです。
今日もその戦いに勝利させていただきたいものです。
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