立教大学池袋キャンパス(東京都豊島区)にあるチャペル「立教学院諸聖徒礼拝堂」の聖別(献堂)100周年記念礼拝が17日、同礼拝堂で行われ、立教学院や日本聖公会の関係者ら約200人が参加した。礼拝では、広田勝一(かついち)院長が説教し、100年前に行われた聖別式の様子を振り返るとともに、霊的支柱として立教学院を支え続けてきた同礼拝堂の重要性を語った。
立教学院は1874(明治7)年、米国聖公会の宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズ主教が東京・築地に開設した「立教学校」に端を発する。その後、築地から池袋に移転することになるが、その最初期に池袋で建設された赤レンガ校舎群の一つが、この立教学院諸聖徒礼拝堂だった。
1916(大正5)年5月に、聖書など12種25品を入れた定礎箱が同礼拝堂建設予定地に収められる定礎式が行われ、赤レンガ校舎群の建設が開始。その後、本館、図書館、寄宿舎(現在の2号館、3号館)、食堂が竣工し、1919(大正8)年5月には大隈重信ら多くの来賓を迎えて落成式が盛大に行われた。そして、翌1920(大正9)年1月25日の「使徒聖パウロ回心日」に同礼拝堂の聖別式が挙行された。
「この聖別式こそが、定礎式に始まった築地から池袋への移転という一大プロジェクトが成し遂げられた時でした」。広田院長は説教でそう述べ、当時の様子を記した2つの資料から、ウィリアムズ主教の後継者であるジョン・マキム主教の司式で行われた聖別式の様子を伝えた。
聖別式では、当時の元田作之進(もとだ・さくのしん)校長(学長)が説教し、「主はその聖なる神殿におられる。全地よ、御前に沈黙せよ」と語る預言者ハバククの言葉を紹介。真なる神が住まわれる神殿として、同礼拝堂が完成したことの重要性を語った。また「知育」の場である校舎、「体育」の場である体育館、「霊育」の場である礼拝堂の3つの関係を説明した上で、その中でも霊性の教育こそが何よりも大切だと伝えたという。
同礼拝堂はその後、聖別式のわずか3年半後には関東大震災で被災し、さらに太平洋戦争開戦時には一時閉鎖されるなど、さまざまな困難を経験するが、「立教の心臓」としてその役割を担ってきた。
「まさにここにおいて、立教精神が具現化してきたと言えます」。広田院長は、100年たった現在もその役割は変わらず、ますます重要になってきていると述べ、今後も福音を伝える場として同礼拝堂が神に用いられていくことを願った。
礼拝では、100年前の聖別式で歌われた聖歌が選曲され、同礼拝堂聖歌隊と共に会衆一同が心一つに歌った。特祷では、聖別100周年記念の祈りとして、「これからも私たちにみ顔を向け、愛と平和を伝える者を育む場としてのチャペルを祝福し、用いてくださり、主の栄光を世に現してくださいますように」と願いがささげられた。
またこの日はちょうど、阪神・淡路大震災発生25周年の日でもあり、震災に関連した祈りもささげられた。中川英樹司祭は「25年たった今も心に傷を負っている方々、街の整備が終わってもいまだに立ち直れていない方々のために祈ります」と被災者に心を寄せるとともに、震災の忘却や無関心を戒め、隣人愛に根ざした生き方ができるよう祈った。
最後には、会衆一同でアシジの聖フランシスコによる「平和の祈り」を唱えるとともに、100年前にも歌われた聖歌311番を歌った。
1月21日(火)午後6時~7時半には、同礼拝堂で記念講演会(入場無料・申し込み不要)も開催される。講演会では、立教大学文学部キリスト教学科の加藤磨珠枝(ますえ)教授が「諸聖徒礼拝堂から読み解く、立教大学100年の歩み」と題して語る。詳しくは、同大のウェブサイトを。
立教学院諸聖徒礼拝堂:米マーフィ・アンド・ダナ設計事務所設計のカレッジ・ゴシック様式のチャペル。日本聖公会東京教区の教会・礼拝堂の一つでもあり、1990年には他の赤レンガ校舎群と共に東京都歴史的建造物景観意匠建造物に指定されている。