紛争の続くアフガニスタンで長年にわたって支援活動をしてきた医師の中村哲氏(73)が4日、同国東部を車で移動中に襲撃され、死亡したことを受け、母校の西南学院(福岡市)が5日、追悼文を公表した。追悼文では、異文化の地で隣人と共に歩んだ中村氏の生き方は「西南学院における『平和構築』のあり方を体現」していたとし、「先生の志を大切にして歩む教育機関でありたいと心から願います」とつづっている。
追悼文によると、ミッション系の西南学院中学校を1962年に卒業した中村氏は、同校在学中にキリスト教と出会い、クリスチャンになった。卒業後も西南学院を愛し、帰国時には度々、同学院に足を運び、生徒や学生らにアフガニスタン現地での活動について話してくれたという。また、同学院が創立100周年を迎えた2016年には、記念式典で講演も行っている。
追悼文は、同学院のG・W・バークレー院長と、同学院中学・高校の中根広秋校長の両名義で出された。最後は「中村先生のご遺族、先生とともに銃撃を受けてお亡くなりになった現地スタッフの方々のご遺族、ペシャワール会をはじめ関係者の皆様に主イエス・キリストによる慰めがありますよう、心からお祈り申し上げます」と祈りの言葉で結ばれている。
中村氏は現地時間4日朝、アフガニスタン東部ナンガルハル州の州都ジャララバードの宿舎を出て、約25キロ離れた農業用水路の工事現場に車で向かう途中に襲撃された。車には運転手やボディーガードのアフガニスタン人5人も同乗していたが、いずれも死亡した。中村氏は右胸付近に銃弾1発を受け、ジャララバードの病院で手術を受けた。その後、さらなる治療のため、首都カブール近郊のバグラム米軍基地へ搬送される途中で死亡したという。
中村氏は1984年、日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)から派遣される形で、当時ソ連と紛争状態にあったパキスタンへ赴任。その後、89年に戦乱のアフガニスタンに渡り、医療支援活動を行った。アフガニスタンで2000年に大干ばつが発生してからは、「100の診療所よりも1本の水路を!」と農業用水路の建設に取り組むようになった。福岡市のNGO「ペシャワール会」の現地代表として活動し、03年には「アジアのノーベル賞」と呼ばれる「マグサイサイ賞」を受賞。昨年にはアフガニスタン政府から勲章を受け、今年には名誉市民権も授与されていた。
外務省のホームページによると、アフガニスタンの渡航情報(危険情報)は5日現在、退避勧告の「レベル4」。タリバンなどの反政府武装勢力によるテロ・襲撃などが多発しており、一般市民や外国人も巻き込まれる事件が相次いでいるとし、目的のいかんを問わず、渡航の中止を求めている。なお、タリバンは事件後、襲撃への関与を否定する声明を発表している。