弁護士としてさまざまな問題に取り組んでいると、いつも心の平安を持つことの大切さを痛感する。適度な不安は、問題の存在を察知し力を尽くしてこれを解決するためには、必要なストレスかもしれない。その場合には、平安はすぐに回復する。
しかし、過度な不安は、平安を回復することが難しく、諸悪の根源であるとも言える。難しい問題の原因の大半は過度な不安から生じている。初めは小さな不安であっても、放置していると、次第に大きくなっていく。不安は、疑い、怒り、恐れ、悲しみなどの否定的な思いの原因になる。こうして、過度な不安は、精神を破壊し、健康を破壊し、家庭を破壊し、社会を破壊していく。
何事もなく穏やかな状態なら、誰でも平安でいることができる。だが、人生において平穏無事という状態はあまりない。いつも何らかの問題が生じ、何らかの問題に悩まされて生きている。緊張や困難の中で心が騒いで右往左往してしまうことも多い。
往々にして、自分が平安を得るために平穏無事な状況を作ろうとするが、これは逆効果である。試験に合格したら平安になれる。貯金がたくさん貯まったら平安になれる。結婚したら平安になれる。裁判に勝ったら平安になれる・・・。それらは長い不安に耐えた結果の一時的な平安にすぎない。すぐに別の問題が起きて不安になる。人生の大半は不安の連続である。
いつも平安を持つ(本当の平安を持つ)とは、状況が悪化し人々が大騒ぎする中でも、ゆるがない平安を持ち続け、平然として問題に対応できる力である。
「あなた、気をつけた方がいいわよ。ご主人が若い女性と楽しそうに繁華街を歩いていたわよ!」。知人からこんな通報を受けた妻は、大きな不安にかられてしまった。そういえば最近は夫の帰宅時間が遅い。なんとなくウキウキしている。酔って帰るときもある・・・。どんどん疑いが募ってきた。きっと陰で浮気しているに違いない! 不安のあまり夜も眠れなくなり、精神科のお世話になった上に、夫への憎しみと激しい怒りのあまりがんになってしまった。
「なにばかなこと言ってるんだ。会社の連中と飲みに行っただけだ。その女の子は新入社員の一人だよ」。夫がいくら弁明しても妻は信じなかった。事あるごとに夫を攻め立てた。無実の疑いを執拗にかけられて妻に嫌気が差した夫は、1年後、別の女性と本当に浮気して家を出て行ってしまった。
別の夫婦は正反対だった。ある時から夫が香水の匂いぷんぷんで帰宅するようになった。「もしかしたら夫は浮気しているのではないだろうか?」。一瞬、疑いの思いが生じた。「でも、そんなことで自分の平安が乱されるのは嫌だ。神様に一切を委ねて、私は愛する夫を信じよう」と決心した妻は、夫を疑ったり責めたりすることをしなかった。あちこちから夫の浮気のうわさが聞こえてきても、「神様はきっと修復してくださるに違いない」と信じて心の平安を守り抜いた。実は、夫は浮気をしていたのだが、自分を信じてくれている妻に申し訳ない気持ちから、不倫相手との間でけんかが絶えず、1年後に、彼女と別れてしまった。
「いつも平安を持つ秘訣」は何だろうか。平和の神である天の父と、平安の君イエス・キリストを心から信じること。言い換えれば、いつも聖霊に満たされて生きることである。聖霊の実は、愛、喜び、平安・・・である。
わたしは平安をあなたがたに残していく。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。(ヨハネの福音書14:25~31)
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