ノーベル生理学・医学賞受賞者のアレクシス・カレル医師は、次のように語っている。
祈りは人間が生み出し得る最も強力なエネルギーである。それは地球の引力と同じ現実的な力である。医師としての私は、多数の人々があらゆる他の療法で失敗した後に、祈りという厳粛な努力によって疾病や憂うつから救われた例を見ている。
祈りは、ラジウムのように、自己エネルギーを作り出す発光体である。人間は祈りながら、自分の有限なエネルギーを増やそうとする。
祈りは宇宙を回転させている無限の原動力と結合する。われわれはこの力の一部が必要なだけ自己に配分されるようにと祈る。このように祈るだけで、われわれの人間的な欠陥は満たされ、強められ、癒やされて立ち上がることができる。
熱烈な祈りによって神に話し掛けると、精神や肉体はともに快方へと向かっていく。わずか一瞬の祈りでも、必ず何らかの良い結果が、祈った人にもたらされるのである。
神への祈りが健康を左右することは、各方面の実験から医学的にも証明されている。キリスト教の癒やしの集会においては、医学的に不可能とされている病が祈りによってたくさん癒やされている。私どもの数人の小さな祈り会でも最近、車いすに乗って来た方が癒やされ、歩いて空の車いすを押して帰ったり、韓国から末期がんの患者さんが参加し癒やされて帰国するということが起きている。
祈りが戦いの勝敗を左右することは、聖書に書かれている数々の歴史的史実からも明らかである。祈りが裁判の勝敗を左右することは、長年にわたり私は弁護士として体験してきた。将棋の勝敗でさえも祈りが決め手になると、「神武以来の天才」と言われた棋士・加藤一二三さんはその著書「幸福の一手」で語っている。このように祈りはあらゆる分野においてその効果を発揮している。
特に福音伝道の分野においては、祈りの力は絶大である。「福音を伝えるために最も大切なことを3つ教えてください」という質問に対して、ビリー・グラハム師は、「第一に、祈れ。第二に、祈れ。第三に、祈れ」と答えている。
知人のビジネスマンに福音を語ってきたが、なかなか信じてくれなかった。ある時、事業が破綻し、彼は夜逃げして行方が分からなくなった。私は心配して彼のために祈り続けた。数カ月後、会いたいという連絡があり、事務所近くの喫茶店でホームレス同様のボロボロの姿の彼と再会した。彼は私と対面した途端に泣き出し、嗚咽とともに泣き続けた。
「すいません、なぜか涙が止まらないんです」「男なのにこんなに泣いて恥ずかしいです」「悲しくて泣いているんじゃないです、うれしくて泣いているんです」「自殺の死に場所を探してさまよっていましたが、死にきれず戻ってきました」「どうしても生きたいんです。キリストを信じます。イエス様以外に私を救ってくださる方はいないことが分かりました」。私が一言もしゃべらないのに、彼はキリストを信じて永遠の命を受け取った。
祈りは神と人をつなぐ生命線(ライフライン)である。だから、聖書には「絶えず祈りなさい」「ひたすら祈り続けなさい」「夜を徹して祈りなさい」「朝早く起きて祈りなさい」「断食して祈りなさい」・・・要するに、「祈れ、祈れ、祈れ」と書かれている。神は人との交わりを求めている。祈りによる神との直接の交わりを通して、人がもっと神と親しくなり、神の命と祝福を無限に受けてほしいのである。その結果、その人を通して神の業が行われていく。
目をさまして、感謝のうちに祈り、ひたすら祈り続けなさい。(コロサイ4:2)
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