イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。モーセはあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。しかし、わたしの父は、あなたがたに天からまことのパンをお与えになります。というのは、神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです。」そこで彼らはイエスに言った。「主よ。いつもそのパンを私たちにお与えください。」イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。(ヨハネ6:32~35)
この世では、私たちの喜びを奪い、悲しませ、落ち込ませたりして、人生をボロボロにしようとする悪の力が働いています。しかし、クリスチャンの私たちはなんと幸いでしょう。イエスの十字架の血で罪がきよめられ、いっさいの悪しきものから遠ざけられています。イエスを信じる信仰によって救われ、きよめられ、神の霊で満たされていることを感謝しましょう。そして、「清らかなもの、美しいもの、愛に満ちたもの」をクリスチャンとして証ししてまいりましょう。
4つの福音書の中でもヨハネの福音書は特に、イエスが、ご自分が何者であるかを明確に語っています。
1. 天から与えられる「いのち」がある
食料は口から食べてエネルギーを得て、体を元気にして命をはぐくむものです。しかし、食料だけでなく、天の神から下ってきて私たちを生かし、いのちとなるパンが存在することを知らなくてはなりません。現代は食生活が豊かになり、「栄養」の内容にまで気を配ります。しかし、「霊的な栄養」が十分かどうかを忘れています。
イエスは言われました。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(マタイ4:4)。私たちは、食料が豊かであれば幸せかというと必ずしもそうではありません。天からのいのちをしっかり頂きましょう。
2. 天からの「いのち」はイエスご自身
「わたしがいのちのパンです」というイエスの言葉をしっかり認めましょう。イエスが単に立派な人で教えが素晴らしい、生き方が模範になるというだけでなく、イエスご自身がいのちのパンであり、イエスによって生かされているという点で、イエスはこの世の誰とも違います。他の宗教の教祖と同じ人間ではありません。
イエスご自身を頂いてつながりを持ち、私たちは生きることができます。学んで修行して道徳的に良い人になることが目的ではなく、イエスと一つにされる、切っても切り離せない関係が大切です。「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」(ガラテヤ2:20)
3. 「飢えることも渇くこともない」との約束
人生の中で必要な助けがない、友がいない、心がむなしい、生きる望みがない、疲れ、絶望するということがなくて、いつも心が満たされ潤っている。これがイエスの恵みの約束です。人生のどんな悩みの中にあっても、キリストが共にいてくださり、必要を満たしてくださいます。主を信じる者には、神によってすべての必要が満たされることを信じましょう(マタイ6:31~33)。
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