翌日エルサレムへ戻り休養日として観光する。残念だったのはこの日は金曜日で、岩のドームは金土非公開で見損なってしまった。行き当たりばったりの旅が自分には合っているが、少しはちゃんと調べて行かないといけない。
しかしもっとも行きたかったのは十字架に掛かる前に祈られたゲッセマネの園で、他の由来の場所は実際にはそこかどうか分からないが、ここは当時から変わらないのだそうだ。ただ当時と違うのは観光客がいっぱいで、静かに祈る場所ではなくなっている。
その後再び死海に行くために折角上った1200メートルを降りて行く。苦労したのに下りはあっさりしたものだ。
死海は以前対岸のヨルダン側を走ったが水に入る事はしなかった。酷いアトピーのため普通の海に入るだけで身体が痛いからだが、水浴場を見ると水際にちゃんとシャワーがあるので入ってみた。本当に面白いほどよく浮く。
その日はマサダ要塞の麓へ。ところが一軒だけある宿は満室、野宿しかないが寝袋も何もない。幸い食料は十分に買えたし、昼は暑いが夜はしのぎやすい温度となり、昔よくやったような青天井野宿もまあ悪くない。ベッド位のコンクリートの塊の上で寝た。朝は早く起きて要塞に上り、死海の向こうから上る朝日を迎えた。
その後は死海南端まで南下して、一気に高原へと上り切ると緩やかな起伏のある高原となる。ガリラヤ湖の北から大地の帯が続いているのがよく分かる。
最終日はテルアビブまで見所もないためひたすら走る。翌朝は6時過ぎの便のため夜中に空港へ行けばよい。夕方海岸へ出てみたが曇っていて最後の日の夕焼けが見られなかったのは残念だった。
最近イスラエルとガザとの間で戦闘が再び激しくなり、最終日に走った辺りも空爆を受け、ガザでは多くの死者が出ている。いつでも安心して自転車で走れるような平和がこの地に訪れてほしいと祈る。
なぜ自転車か。歩きでは下りでも追い風でも同じように歩かなくてはならないが、自転車は勾配や風向きで身体の負担に雲泥の差があるから、うねる土地の様子や気象を自分の足を通して直に感じられる。そよ風の速さであるのも自分には合っている。自転車というツールを仲立ちにして人とのコミュニケーションもとり易い。そういう意味で自転車は自然や人をより感じられる手段だと思い、今回も自転車で走ったことでこの場所についての親しみが湧いてくる。
しかし同時に途中でも書いたが、場所が重要なのではなく主のなされた事実の方が大事だというのも改めて感じる。
実際イエス様が歩いたのはこういう場所だというその空気を感じて、聖書の記述の理解が深まったと思うが、聖霊様がいてくださるのだから、主のなされたことを感じるのは何処にいても変わらずできることでもあるとも思う。
■ イスラエル自転車旅行記:(1)(2)
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