それからイエスは、・・・安息日ごとに、人々を教えられた。人々は、その教えに驚いた。そのことばに権威があったからである。また、会堂に、汚れた悪霊につかれた人がいて、大声でわめいた。・・・イエスは彼をしかって、「黙れ。その人から出て行け」と言われた。するとその悪霊は人々の真ん中で、その人を投げ倒して出て行ったが、その人は別に何の害も受けなかった。・・・日が暮れると、いろいろな病気で弱っている者をかかえた人たちがみな、その病人をみもとに連れて来た。イエスは、ひとりひとりに手を置いて、いやされた。(ルカ4:31~40)
自然界は、神の定められた通りに従って季節が進んでいます。この秋の日々も、神が定められた通り、本当の命を与えられたクリスチャンらしく基本に立ち返り、聖書通りの信仰を持っていきたいと思います。
今日の聖書箇所は、イエスの日常が描かれています。イエスの御業は、聖書には記録されていないものも数多くありますが、イエスが毎日どのように過ごされていたのかが分かるように描かれているのが、今日読んだ箇所です。あるカペナウムでの一日、イエスの日常にはどんな特徴があったのでしょう。
1. イエスの教えに権威と力がある
イエスは事あるたびに神の言葉、福音を語って人々に教えておられました。イエスの語られる言葉と教えには、上手さや話の深さ、幅広さではなく、権威があり力があったのです。これはイエスの典型的な毎日で、いつものように人々を教えていましたが、イエスのお言葉にはすさまじい権威と力があったのです。
これを注意して受け止めなければいけない理由があります。今は情報化の時代であるとともに、情報が溢れかえって、情報が軽く安っぽくなっています。百科事典以上の最新の世界中の情報が簡単に手に入るだけでなく、私たちの言葉が軽くなり、言葉に価値のある人が減っています。
この社会の言葉は軽くて信用なりません。でもだからこそ、イエスのお言葉にある権威と力を頂こうではありませんか。
2. 人々を悪霊から解放する
救い主イエスのお言葉には力があり、それが用いられると、人々は悪の霊の働きから解放されました。悪霊に取りつかれた人に、イエスが「黙れ、出ていけ」とお言葉を発せられた瞬間、不安、悲しみ、怒りや暴力で満ちていた悪霊が出て行き、解放されました。
悪の力に左右されて、神から与えられた人生をつまらないものにしてはなりません。今現在の日本において、典型的な悪霊の働きの現れは、うつです。人生の中に喜びや楽しいことがないわけではないのに、仕事のストレスや家族の心配事やお金の不安、あるいは愛する人に裏切られたなど、さまざまな経験を悪霊は利用してうつをもたらし、人生が絶望であるかのような錯覚を与えます。
神から与えられた素晴らしい価値ある人生を、何の価値もないように思わせるのです。イエスのお言葉が権威、力として働くならば、そういう否定的な悪霊の力から解放されるのです。イエスは解放者なのです。人々を悪の力から自由にしてくださる方です。
3. 人々を癒やしてくださるイエスの日常
イエスは誰であっても病人を癒やされました。ありのままのイエスは癒やし主です。権威と力があるだけではなくて、人々を癒やしてくださるのです。
私たちの人生の中に飛び込んでくださり、一番近い所で病から癒やしてくださる、それがイエスのありのままの姿であり、典型的なイエスの一日。当たり前のようにイエスは、連れて来られる病人や悪霊に苦しむ人々を次々と癒やされました。
今日、私たちはこのイエスの御業を体験したいのです。だから、イエスを自分の理屈や願望に引きずり下ろすのではなく、イエスの基本に自分を重ね合わせ、シンクロ(同調)させましょう。救い主に自分を当てはめ、癒やしの御業をなしてくださいと祈りましょう。
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