ルステラでのことであるが、ある足のきかない人がすわっていた。・・・パウロは彼に目を留め、・・・「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した。パウロのしたことを見た群衆は、声を張り上げ、ルカオニヤ語で、「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ」と言った。・・・ゼウス神殿の祭司は、雄牛数頭と花飾りを門の前に携えて来て、群衆といっしょに、いけにえをささげようとした。・・・バルナバとパウロは、・・・言った。「皆さん。どうしてこんなことをするのですか」(使徒14:8~18)
今、自国の貧困や政情不安から逃れるために、中米各地から大勢の人たちが歩いて米国を目指すという、出エジプトを思い起こさせる事態がニュースになっています。いかに世の中が豊かになっても、身勝手な人の知恵では一部の人しか幸せになれないということです。
幸い、出エジプトでは、神ご自身のご計画と導きがあり、祝福がありました。どんな人生にも神の知恵、導き、守り、救いがなくてはなりません。神と共に歩むとき、本当の幸せが与えられるのです。
一方、安心安全な日本では、心を病み、喜びや平安、希望を見いだせない人が少なからずいます。先日の教会の運動会では、神の家族としての交わりの楽しさ、幸せ、素晴らしさを感じ、現代を生きるには、救い主イエスと共に歩む教会生活が必要だとあらためて確信しました。
神を信じる人の幸せには、人の知恵や世の流行ではなく、イエス・キリストの救いと罪の赦(ゆる)し、神の子とされる恵み、永遠の命の約束を頂いているという、根拠があります。
今日の箇所は、パウロの3回の大伝道旅行のうち1回目の、ギリシャからそう遠くない異邦人の町ルステラでのエピソードです。そこでパウロが行った素晴らしい奇跡に大興奮した人々が、パウロとバルナバをギリシャ神話の神々の名で呼び、いけにえまでもささげようとしました。そこでパウロは、人々の誤解を正そうと神の愛の姿勢を明確に語りました。
1. 神なしでは迷う
「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った」(イザヤ53:6)。大昔も今も、天地創造のまことの神、命の与え主を知らない人間は、愚かで罪深く、いつも迷い悩み、苦しむ弱い者です。
失敗や挫折のほとんどは、自信過剰で何でもできると思い込んでいることによるものです。自分の罪深さ、弱さを認めましょう。教会に導かれてクリスチャンになる前、どれだけ迷い悩み、不安で悲しんでいたかを思い出してください。
2. 救い主イエスを通して立ち返る
自分だけの力に頼っていたのでは、むなしく迷い続けるだけです。神を知らない罪深い生き方から、救い主イエスを通して現された神の救いへ立ち返るようにと、神の恵みの知らせ(福音)が届けられたことを感謝しましょう。救い主イエスが、私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかって死んでくださり、私たちは罪から解放されたのです。
3. 救われるずっと前から祝福の神
神は、私たちが罪の中にあって救われる前から、既にありとあらゆる恵みと祝福を用意してくださっていました。以前は美しい景色を見ても、不平不満は消えませんでした。しかし、クリスチャンになってから、心に変化を感じていませんか。自然界の美しさが分かるようになり、外の世界が輝いて見えます。
イエス・キリストと一つであることを確認し、主と共に歩む人生を感謝しましょう。むなしい偶像礼拝や弱い人間を神とするような愚かな生き方から解放されて、まことの神とつながって歩んでまいりましょう。
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