種蒔く人は、みことばを蒔くのです。みことばが道ばたに蒔かれるとは、・・・みことばを聞くと、すぐサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを持ち去ってしまうのです。・・・岩地に蒔かれるとは、・・・みことばを聞くと、すぐに喜んで受けるが、根を張らないで、ただしばらく続くだけです。・・・いばらの中に種を蒔かれるとは、・・・みことばを聞いてはいるが、・・・いろいろな欲望が入り込んで、みことばをふさぐので、実を結びません。良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。(マルコ4:14~20)
実りの秋、神から最善の恵みが与えられることを期待しましょう。神は生活の中の小さな一歩のチャレンジから、恵みを拡大してくださるお方です。神を信じることは大きな喜びで素晴らしい可能性があることを忘れないでください。
恵み豊かな神の基準に合わせて私たちの信仰の器を思い切り広げるとき、神は恵みを増し加えてくださいます。「5つのパンと2匹の魚」の奇跡では、少年の弁当ぐらいの量で5千人を超える人々がお腹を満たされるほどでした。
今日の聖書の箇所でイエスは、この前に語られた「種蒔きのたとえ」と呼ばれるたとえ話の解説をされました。実りの善し悪しの違いは、蒔かれた種の品質が問題なのではなく、種が蒔かれた畑の問題だと言われます。
種は神の御言葉で、神の御言葉には力、命があり、それを受け止める人の心、魂の状態によって結果に大きな差が出ます。御言葉である種が蒔かれ、畑である人の心の状態が大きな結果の差をもたらすのです。蒔かれた種がたくさんの実を結ぶために3つのことを確認しましょう。
1. 心の状態を整えよう
仕事、結婚、子育て、あるいは信仰生活においても、自分の思うようにいかなかったり、自分に不都合なことがあると、他人のせいにするものです。私たちに恵みをもたらす神の御言葉は確かに蒔かれるのですが、蒔かれた畑の状態ですべては決まります。
悪魔に種を持っていかれたり、ちょっとした困難がくるとつまずいたり、社会の波に翻弄され、神の御言葉の力を発揮できず、クリスチャンで教会に来ていながら花も咲かず実も残らないようでは困ります。
自分の心がイエスに受け入れられるようへりくだり、弱さや欠点、わがまま、罪に汚れやすい自分の心を耕しましょう。耕された畑に神の御言葉が蒔かれてこそ、30倍、60倍、100倍の実りがあるのです。
2. 良い実を結ぶための努力をしよう
最近の社会は、個人の自由を尊重しつつ、結果までもが「みんなに平等に」出ることを社会が保証すべきだという風潮があります。しかし、聖書が語る人生の歩みは、結果まで平等ではありません。
確かに神は、すべての人を平等に愛し、チャンスをくださいますが、良い結果を出すためには、私たちが自ら努力し忍耐し、真心を注ぐかどうかが問われます。畑に何度も通って汗を流し、水をやり、耕して、良い土地にしなければなりません。
3. 神の御言葉を受け入れよう
私たちの人生にどれだけ潤いと実りがあるかは、神の御言葉をどれだけ受け入れられるかによって決まります。世の中は、自分らしく生きることがいいと言います。しかし、自分がそう思うのだからという自己満足ではなく、神の御言葉を大切にしましょう。さもなければ、神との関係から離れて孤独で悪魔の惑わしの中で生きる人生になります。
パウロは1テモテ1:15の中で、「イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」という御言葉をそのまま受け入れ、「私がその罪人のかしらです」と告白しました。私たちも御言葉を受け入れ、イエスの十字架の死と罪のきよめ、永遠の命の希望を告白しましょう。
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