神は喜んで与える人を愛してくださいます。 (2コリント9:7)
ある人が言いました。「この世には、物を与えるのに、三通りの人がいる。すなわち、火打ち石、海綿、それにミツバチの巣である」。火打ち石から何かを得ようとするなら、何度も何度も打たなければなりません。それでも出るのは、わずかの火花だけです。海綿から何かを得ようとするなら、絞らなければなりません。そして絞れば絞るほど多くのものが出てきます。しかし、ミツバチの巣は、自ら甘美があふれ出ます。
人を助けることができるのに、ケチケチして何も人に与えない人がいます。また、求められれば求められるほど、進んで多くを与える人もいます。そして、求められないのに、喜んで与える人もあります。
聖書は次のように約束しています。
神は喜んで与える人を愛してくださいます。 (2コリント9:7)
自分が楽しむため、自分が欲しいものを買うため、自分が行きたい所に行くためには、お金を使うことを惜しまないのに、弱い者を助けるため、悩んでいる人々を喜ばすため、公共の福祉のためには、出し惜しみをすることはないでしょうか。小さな親切でも実行できる機会があったら、その機会を感謝して、財布の口を開きたいものです。快く出したお金は祝福となり、自分に戻ってきます。他人を喜ばすことを喜ぶ人は、天に宝を貯える人なのです。
しかし、与えるということは、お金だけの問題ではありません。与える心をもつことが何よりも必要です。そして、あなたのために、その全生涯といのちを惜しみなく与えられたイエス・キリストを心にもつ時に、私たちの心は豊かになります。
あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。 (2コリント8:9)
心が豊かになると、喜んで与えることができるのです。与えると言っても、お金とは限りません。心から笑顔・ほほえみを与えることができるようになります。たとえ、体を動かすことができない人であったとしても、心からの感謝を、心からの親切な言葉を、与えることができるのです。
『我が恵み汝に足れり』という詩集を読み、感動しました。長野県に住む水野源三さんの詩集です。水野源三さんはものが言えず、手足が麻痺し、六畳の部屋に寝たきりの方でした。小学校四年の夏、赤痢のため高熱が続き、ついに脳を冒され、脳性小児麻痺になったのです。外界に対する意思表示の手段は、まばたきすることだけでした。
それから五年後、水野さん一家はキリストの福音に触れ、源三さんの閉ざされた世界に、一条の光が射し込んできました。幸い目と耳は冒されていなかったので、ラジオ番組や通信講座で学び、キリストを信じる人生に入りました。そして、お母さんが「あいうえお表」を指さして、源三さんがまばたきで合図する字を書き取ることで、意思表示できるようになりました。
やがて、大きな転機が訪れました。詩を書く喜びを覚えたのです。もちろん、お母さんが一字一字、源三さんの目が追う字を書き取っていったのです。
そんな源三さんの顔はいつも天使のように輝き、町の人は、「源三さんは私たちの町の宝です」と言っていたそうです。源三さんは心から与える人生を、キリストによって生きつづけた方です。
物が言えない私は
有難うのかわりにほほえむ
朝から何回もほほえむ
苦しいときも 悲しいときも
心から ほほえむ
あなたの日々も、このようなすばらしい日々でありますよう、お祈りします。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『希望の声』(マルコーシュ・パブリケーション)は、同師がラジオ番組「希望の声」で伝えたメッセージをまとめた珠玉のメッセージ集。放送開始25年を迎えた98年に、過去25年間伝え続けたメッセージの中から厳選した38編を紹介している。