限られた人生の中で何を残せるだろう・・・
私は4歳の時に韓国から来日、日本で育ちました。韓国人の父は大阪で牧師をしています。小学校2年生までは日本の小学校、3年生からは韓国人学校、中学生の頃からインターナショナルスクールに通い、ある意味“普通”ではない環境で育ってきました。それ故、自分とは何か、人生とは何か、何を目的に生きているのかを、深く考えていたように思います。家の中では韓国語を話し、友人との会話は関西弁・・・それが私にとっての当たり前でした。
私はインターナショナルスクールを卒業後、オーストラリアの神学校に入学したものの、行く道が定まらず退学、その後韓国の大学に進学して心理学を専攻しました。それと同時に韓国の映画監督に弟子入りし、初めて映像制作の現場に携わりました。学業と映像制作現場の両立で多忙ながらも充実した毎日を過ごしていました。
ところが大学1年の夏、日本にいた中学時代からの親友が突然亡くなりました。あまりに突然のことで事実を受け止められず、心と体が分離してしまったような、自分一人だけが異次元に放り出されてしまったような気持ちになったことを覚えています。彼とは中学1年生から高校卒業まで同じインターナショナルスクールに通っていました。濃密な青春時代を共に過ごし、多くのことを共有してきた彼が亡くなったことで、彼との思い出がすべて幻だったかのような錯覚に陥りました。彼が亡くなってから7年の歳月が過ぎましたが、今でも彼の死を受け入れられていないのかもしれません。
Shozan Film を立ち上げた直接的な要因は、この親友の死でした。もし彼が生前に、何らかの形で私にメッセージを残してくれていたなら、励ましや慰めになっていたのではないか・・・彼の生きた証しを握って、彼の分まで強く生きていく糧になったのではないか・・・私のような思いをする人を減らすために、私にできることは何か・・・そんな悶々とした思いを抱き、模索する中で見いだしたのが映像制作でした。
何気ない日常の中にこそ
英国の詩人バイロンが「事実は小説よりも奇なり」という言葉を残していますが、どんな人の人生にも必ずドラマがあります。それは劇的なものではないかもしれません。私には1歳の娘がいますが、妊娠から出産に至るまでの期間の待ち遠しさ、生まれた時の感動は、作られたシナリオでは再現できないものです。このような“当たり前の幸せ”こそが最もドラマティックで、後世に残しておくべき尊いものだと思うのです。
Shozan Film という社名の由来は、“生”きるを“残”すから来ています。一見凡庸で退屈に見える営みにこそ価値があり、それを見つめて噛みしめることが幸せであり、より良く生きることにつながる唯一の方法ではないでしょうか。その営みを映像に残すことで、万人受けするサクセスストーリーやシンデレラストーリーでなくても、特定の人からすればかけがえのない、特別なものになります。
もちろん弊社はウエディングや会社・教会案内、各種広告などのような仕事も請け負っていますが、「映像を通して被写体のストーリーを浮き彫りにし、今後の歩みにつなげていく」というマインドを持って撮影と編集に取り組んでいます。映像制作会社として、映像自体のクオリティーを追求するのは当然ですが、我々が見据えているのは映像の先にある人のつながりや、何気ない幸せです。ただ単にきれいで見栄えのいい映像を制作するのではなく、人の感情を動かし、小さな行動につながるものを作りたいと願っています。
Shozan Film のビジョン
Shozan Film はクレドとして以下のことを掲げています。
映像制作を通して自分の人生を振り返り、当たり前に感謝できる人を増やしていく。
そうすることで何気ない幸せや、今ある人との関わりに
価値を見いだすことができ、個人だけでなく、社会全体が感謝に溢れる。
正直なところ、映像制作業界は群雄割拠で、生業にしていくには相当な努力と工夫が必要です。それでも映像制作の道を志したのは、お金ではなく一人でも多くの方が当たり前に感謝し、より良い人生を歩んでほしいという願いからです。社会全体から見れば氷山の一角かもしれませんが、ビジョンを握り、邁進していく所存です。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(Ⅰテサロニケ5:16~18)
Shozan Film メインディレクター
権 赫讃(コン・ヒョクチャン)
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