『お寺はじめました』というタイトルからして分かりやすい。31歳の僧侶、渡邊源昇(げんしょう)氏がいかにしてゼロからお寺を建て上げたかを分かりやすく解説した本である。
「ぜひ読んで書評を」と依頼され、軽い気持ちで引き受けたが、読み進めていくうちに、どんどん頭が活性化してきた。これはキリスト教用語で言うところの「開拓伝道」仏教版である。
昨今のお寺をめぐる状況は厳しく、ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳(ひでのり)氏が2015年に『寺院消滅』を出版して以来、仏教界から「このままでは寺がなくなってしまう」という警告の声が叫ばれ始めている。しかし従来の解決策は「既存のお寺を改革しよう」という流れが主流であったように思う。
それに対し本書は、既存の概念にとらわれず、むしろ仏教の教えの原点に立ち返り、若い感性でお寺を「一から作りましょう」という話である。
渡邊氏の流れでは、ざっと次のような経過をたどる。
- 公募「国内開教志願者募集」にエントリーする。
- 具体的なリサーチを行い、どの場所にお寺が必要か、どんな人々のニーズに応えるのか、といったプレゼンテーションを行う。
- 採用されたらそれを実行に移す。その際、マンションやアパートを賃貸し、そこをお寺とする。
- やがて人が集まってくる(毎朝駅前に立ったり、訪問したりしてアピールすることで)。
そして2017年7月4日、ついに土地を購入して寺院建立にめどがつくこととなる。
これはあくまでも仏教界の話である。どうしてクリスチャントゥデイで取り上げる必要があるのか、疑問に思われる方もおられよう。しかし私的な宗教活動が法的に認められている日本において、キリスト教徒も仏教徒も法律上の立場に違いはない。少なくとも公的にはそう見られることになる。私たちキリスト者は、その中で他宗教とは異なる色合いを出していくことが求められる一方、同じ「宗教界」という土壌で人々と向き合っているため、共通の悩みや問題を抱えることも多い。本書はその共通の悩みへの一種のカンフル剤となる。
本書を通して仏教界改革の具体的な方向性を見て取ることができた。それをサンプルとして私たちキリスト教界が受け入れるなら、大いに学べることがある。
第一に、渡邊氏は勝手に「開拓伝道」を開始したわけではないということ。彼は日蓮宗の僧侶であるが、新しくお寺を始めるという働きを決して個々人に任せていないということである。公募し、エントリーしてきた僧侶の中から可能性のある者を選抜し、そして期限付きではあるが本部がサポートする。
4年間の期限付きで、最初の3年は助成金が支給される。しかも月給20万円、これとは別に家賃として月14万円、つまり計34万円が最低3年間は保証されるのである。これは確かに「選抜」しなければできないことであるし、選んだ側も選ばれた側も真剣に「結果」を求めるモチベーションが生まれることとなろう。
このような働きを組織的に行っているという意味で、仏教界の底力を見せつけられた気がする。私たちキリスト者は、今こそ教団教派を越えて福音宣教のために結集すべきではないだろうか。
第二に、科学的な指標に基づく計画的な「開拓伝道」であること。「どの町にどんなお寺を」というときに、きちんとマーケティングリサーチの手法を用いることで、単なる思い付きや「突然の天啓」にのみ偏らない工夫がなされている。キリスト教(特に保守的教派)にありがちな「霊的」な「神(または仏)」からの示しに従うべし、とだけは考えていないところがおもしろい。
彼が行ったリサーチは、交通量調査、路線電車試乗、各大型ショッピングモール視察、人口調査、平均年収、持ち家率などである。同時に「どんな人をターゲットとして、何をやっていくか」を明確にし、それが上記調査結果と連関できるかどうかを判断している。
日本のキリスト教界は、このような点をどう考えているだろうか。どんな思いで神学校は卒業生を「開拓」に送り出しているだろうか。言い換えるなら「その開拓方法ではダメだ」ときちんといさめることをしているだろうか。再考の余地があると思わされた。
第三に、渡邊氏は僧侶仲間との連携を図り、共に地域へのアプローチを開始している。それが「日曜学校(!)」である。地域の子どもたちをお寺(マンションの一部屋)に集め、そこで仏教の教えに基づいた子ども向けの実践を行う。勉強も教える。食事もふるまう。そんなことを仲間と共に行うのである。
今は「子ども食堂」など、各地の教会で同じような働きを始めているところもあるが、大切なのは「同世代との連携」である。そのことが本書を通してよく分かる。
そして最大の衝撃は、本書120ページでやってきた。こう書かれていた。
僧名は茶名や雅号と違って本名ですから、戸籍上の名前も変えなくてはなりません。新米僧侶は家庭裁判所に改名の手続きの申請をします。(中略)私は霞が関の家庭裁判所に行きました。本当に僧侶になるのだなという感慨が深まった瞬間でした。
名を変える! しかも戸籍の! これには参りました。彼らがどうしてここまでできるのか。それは名を、戸籍上の氏名を変えることにあったのだ。
もう前に進むしかない、というか、これで本当に自分たちは仏に仕える身となったのだ、ということを、名前を変えることで体現しているのである。すると原則、辞職や解任は起こり得ない。その寺の住職を辞任することはあっても、僧侶を辞めることはない。まさに「出家」である。
私たちキリスト者、特に牧師はどうだろうか。カトリックなどで洗礼後にクリスチャンネームを頂くということはあるが、仏教界はその上を行っている。そう思わされた。
本書は200ページほどの読みやすい本である。誰が読んでも分かるし、また若い僧侶の奮闘ぶりが手に取るように分かる。しかしそれ以上に、本書はキリスト者(しかも長年の信仰者、牧師、神学校関係者)にこそ読まれるべきである。
私がまとめた小シリーズ「神学校教育に一石投じる」でも述べたことだが、キリスト教界も「今までのやり方」が多くの点で機能不全に陥っている。だから新しいシステム、アイデアが求められているはずだ。こういった他宗教の真剣な取り組みに耳を傾けてみることは、決して不信仰に堕することではない。むしろ、私たちの信仰の純度を長く保つためにも、「ライバル店」の動向をチェックし、そこから学ぼうとする姿勢は大切ではないだろうか。
■ 渡邊源昇著『お寺はじめました』(原書房、2018年2月)
◇