世の中、理不尽かつ、不可解なことが起こるものです。納得がいかず、不甲斐なく感じることがあるのではないでしょうか。「あー、あの時、こうしなければよかったのに!?」「もっとこうしておけばよかったのに!?」と悔やむこともあるかもしれません。すべては自分次第でこうなっている!? もしそう考えたとしたら、人生は後悔の連続になることもあるし、生きることがつらくなります。
私の友人のお父さんが、大病を患い入院しました。吐血をするごとに輸血をしました。しかし、医師の判断ミスで、吐血後に輸血をしそびれてしまいました。しばらくして、友人のお父さんは亡くなりました。
その後医師は、直ちに医療ミスを認め、謝罪してきたそうです。友人は、「神様が天に召されただけです。お世話になりました」と言ったそうです。訴えられるかもしれない!?と怯(おび)えていた医師はとても驚き、神を信じる人の考え方に驚愕(きょうがく)したそうです。
友人のお父さんは、人為的ミスによる事故がきっかけで亡くなりましたが、神様が亡くなることを許されなかったとしたら、そのミスを覆す人物をその場所に送り込み、生かしてくださったはずです。しかし、亡くなることを許されたということは、「もう、天に戻って来なさい!」と召されたのです。すべては、神様の許しのもとに起こっているのです。
人生の岐路に立たされて、どちらの道を選んだらいいのか迷うことがあります。しかし、慎重になりすぎたらどちらも選べなくなり、優柔不断に終始してしまいます。神様に祈り、神様と相談しながら、自分の心にある確信に従って大胆に決断してください。もし、その決断が神様の御旨に沿っていないとしたら、神様が何らかの手段を講じて留めてくださるはずです。
後悔していることはないでしょうか? 後悔を神様に委ね、神様の許しのもとに起こった過去を感謝し、前に進んでいきましょう。今日という新しい1日を、昨日や過去を悔やむことで台無しにしてしまったらあまりにももったいないです。
「ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです」(ピリピ3章13、14節)
素晴らしい1日でありますように。
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