今から46年前に洗礼を授けてくださったJ・ブロックソム宣教師が6月に天に凱旋された。私たちの教会は今年50周年を迎える。50年前、ブロックソム先生は、祈りと聖霊の御導きによって京都府長岡京に私たちの教会を創設してくださった。師の日本での最初の開拓伝道だった。
泉が丘地区に教会の場所を確保するための祈りと信仰の戦いは何度聞いても感動する。「信仰は勝利、信仰は勝利」と賛美の中で生まれた教会である。
長女が小学校に入学を機会に、もう1度英語を学びたいと思っていたとき、奇しくも新聞折り込みに教会英会話のちらしを見つけた。長男(2歳)、次女(4歳)を連れてクラスの申し込みに行った。「ふたり、連れてきますか?」と先生は、真丸のガラス玉のような目をクルクルさせで歓迎してくださった。温かい目だった。
英会話を通して聖書から罪を知り、なんとしても罪を赦(ゆる)されたいと願って受洗した。その2年後、主は私を荒野に導かれた。荒野の中で見えなかった神が見えた。神の声が聞こえた。涙の谷を喜びの泉に変えてくださった。もしブロックソム先生の英会話クラスのちらしを見なかったら、神に出会っていない。今の私は存在しない。
最初は、子どもと共に教会学校に出た。ブロックソム先生が送り迎えしてくださった。ミニバンは子どもたちでいつも満員だった。
礼拝をささげるようになったが、初めのうちはほとんど分からなかった。聖書の内容そのものが分からなかった。先生の日本語ももう少し分かりやすかったらよいのにといつも思っていた。
とても大切なことを学んだ。ブロックソム師の夫人バーバラさんは、長岡教会開拓の時を振り返り、このように書かれた。「50年以上前、長岡京に初めて教会を建てるために私たちを遣わしてくださった主を賛美いたします。私たちの力のなさはとても大きなものでした。日本の人たち、文化の理解、言語力の欠如は実に大きなものでした」
宣教50年、ブロックソム先生とご家族は日本人の救いのために心から労してくださった。どれほどの労苦を担い、宣教に尽くしてくださったか。感謝しても感謝しきることはできない。
最初の受洗者となったT姉は、「先生の言われていることが時々どんなに分からなかったか。先生は御言葉を語られた。それを理解するために毎朝ディボーションの時に、聖書本文の下の引照・注をたどっては読んだ。御言葉のチェーンに従って。すると、メッセージの内容が深く理解できるようになった。もし先生の日本語がペラペラだったら、私はあんなに聖書を自分で学ばなかったと思う」と言われた。
そんなに深く御言葉を食べたT姉を、主は婦人の救いのためにどんどん用いられた。主の御手の中では欠けは最後まで欠けではない。ローマ8:28「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」の御言葉の通りであった。ブロックソム先生の言葉の欠けゆえに、T姉を用い、宣教を広げられた。
私は、あらためて教えられた。完全でなくてもよい、申し分なくてもよい、イエス様どうぞお用いくださいと差し出したとき、主が足らない部分は補って、主の目的のために主の方法で用いてくださることを。大きな丸い器を作るのに小さな器分の粘土しかなければ、主が足らない分の粘土をご自分の手で加えてくださり、御心のままに用いられる。
ブロックソム先生から学んだことはたくさんある中で、先生はいつも証しするように励まされた。「神様はお休みでしたか?」と婦人会で言われた言葉が残っている。霊の健康のためにビタミンを取るように言われた。ビタミンB(Bible)、P(Prayer)、W(Worship)、F(Fellowship)である。
晩年は体調を崩されたけれど、最後に母国に帰国されることもなく、日本から天国へ凱旋された。まさに一粒の麦となってくださった。数限りなくまかれた種は、その場所で芽を出し、花が咲き、実を結んだものもある。
「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15)。イエス様とブロックソム先生の言葉が重なりあって聞こえてくる。
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