1942年6月26日のいわゆる「昭和の弾圧」と呼ばれる、国によるキリスト教会への迫害事件が発生してから66年目を迎え、弾圧の標的となったホーリネス系の諸教団は22日、東京都内の教会で合同の弾圧記念聖会を開催した。行われた講演会では、日本基督教団神奈川教区巡回教師の関田寛雄氏が、「汝、われを愛するか」と題して講演。牧師の父をもち、子どもの頃からキリスト者として歩んだ自らの半生の証とともに、戦時下における教会の罪を指摘し、1967年に出された戦争責任告白後の教会として、日本の教会のあるべき姿を語った。
「日本社会においてキリスト教徒であることは恐ろしいことなんだ。もっと日本人ぽくならなくてはいけないんだ」。8歳のとき母親を亡くし、牧師である父の言われるままに洗礼を受けたという関田氏は、戦時中の幼い頃、キリスト者であるがために受けたいじめの経験から、子どもなりに思ったその心を素直に語った。当時の自分はまさに「軍国少年」であったと、自らがたどった「同化」の体験を振り返る。
しかし、1945年8月15日、昭和天皇による玉音放送とともに日本は戦争に敗れた。それまでは、「鬼畜米英」と反欧米の教育を強いてきた社会や学校の教師らが、敗戦ですべてが一転。まったく逆となってしまった社会に直面した。自身も「まさか戦争に負けるとは思っていなかった」という軍国少年であったため、敗戦のショックは大きく、「言葉を失った」という。
しかし、その中でも、戦後釈放された牧師が語った「どんなに時代が変わっても、変わらない真理が聖書の中にある」といった言葉や、牧師の父自身から聞かされた詩篇51編にあるダビデの悔い改めの詩、自らの苦悩を手紙でぶつけた学校の教師が触れた聖句など、様々な「言葉との出会い」によって、「干からびた私の心に潤いが来た」と証しした。
一方で、戦時中の教会がとった態度について、国民儀礼などを「恐ろしい礼拝の歪曲」とするなど日本のキリスト教会が犯した罪について指摘。1967年に日本基督教団より出された戦争責任告白の実質化を求めた。
米国の公民権運動を導いたマーティン・ルーサー・キング牧師との文通の経験などを挙げ、非暴力を貫き、「汝の敵を愛せよ」と白人を敵とするのではなく和解の道を説いたキング牧師の姿勢から、「和解」の福音に生きること、また違いを認め合った上で共に生きていくという「共生」の実践を訴えた。
最後には、3度イエスを否定したペテロが、復活後のイエスから「汝、われを愛するか」と問われる箇所を引用。イエスが1度目、2度目で用いた「愛する」という言葉が絶対愛の「アガペー」だったのに対して、ペテロが応えた「愛する」は人間同士の間でも用いる愛の「フィリオー」であった。しかし、3度目にイエスが用いた言葉は「フィリオー」であり、神が人間の弱さを知っていることを伝えた。そして、イエスが最後にペテロに語った「私に従いなさい」という言葉の通り、「失敗するかもしれないが、とにかく主に従っていこう」と呼びかけた。
関田氏はまた、戦争責任告白後の教会が持つべき姿勢として、どんなことがあっても問題に取り組み続ける姿勢、権力を持つ当事者らとの対話をし続ける、キリストの秘められた計画にある希望を捨てないことを挙げた。
弾圧を記念しての聖会は弾圧後50周年を迎えた92年から継続して開催され、今年で17回目。弾圧を風化させないこと、弾圧を出来るだけ客観的に検証し、現代の信仰を相互に培っていくこと、終末に耐えうる教会形成、福音宣教につなげることを目的に、ホーリネス系諸教団が毎年合同で開催している。
今年は、ウェスレアン・ホーリネス教団、基督兄弟団、日本ホーリネス教団、基督聖協団、日本福音協会連合有志教会らが共催、協賛して聖会を開催した。昨年には、過去の聖会における説教や証を編纂した集会記録集として「神の言葉はつながれていない」(ホーリネス弾圧同士会委員会編)を発行するなどしている。