「すぐに判断しない」と聞いて、優柔不断のススメのように聞こえるかもしれませんが、そういうことではありません。
目の前にある問題に対して、すぐに決断をしなければならないときがあります。しかし、無理に決断するよりは、とりあえず棚上げして、祈り、ニュートラルにしておいた方が良い時もあります。
目の前の出来事に対して、パッと黒か白かを判断するのではなく、ちょっと立ち止まってみませんか。
中国にこんなお話があります。
片田舎に1人の男性が住んでいました。ある日、彼は名馬を手にします。それを見た隣人は、「おめでとう、素晴らしく良い馬だね。君はラッキーな男だ」と祝ってくれました。
しかし彼は、「このことが良いって、どうして分かるんだい?」と答えました。目の前の出来事に対して、すぐに「良い?悪い?」の判断をしない人でした。お祝いに来た隣人は、彼のことを「変なヤツ!」と思いました。
しばらくして、王様が近くを通り、その名馬に目を留めます。あまりに素晴らしい馬なので「この馬を手に入れたい。お金はいくらでも払おう」と男に申し入れました。それを聞いた隣人は「良かったね、これで君も大金持ちだ」と言いました。
ところが彼は、「私にとってこの馬は家族同然、手放すわけにはいかない。王様、お金で交換できるものではありません」と、いとも簡単に断ってしまいました。
「バカだなあ、こんなにいい話を断っちゃって・・・、大金が入るはずだったのに台無しだ!」と隣人はまた「良い?悪い?」を判定しました。
すると彼は、「どうしてこれがバカなことだって分かるんだい、君?」って答えました。
翌日、その馬が逃げてしまって、いなくなりました。隣人は、「ほら見ろ。だから言ったじゃないか、売っていれば大金持ちになれたのに、馬もいなくなった。お金も手に入れ損なった。かわいそうなヤツだ!」と言いました。
彼は、「どうしてこれがかわいそうなことだって、君に分かるんだい?」って聞き返しました。
事実は、昨日までいた馬が、今日はいないということだけ。隣人は、それに対しても「良い?悪い?」を判断しました。
半年後、その逃げ出した馬が子馬を連れて戻って来ました。隣の人は「ツイてるね、君は!」と祝ってくれましたが、彼は、「1頭だった馬が2頭になった。これは事実だけど、それが良いかどうかは分からない。どうしてあなたはこのことがツイていると判断できるんだい?」と答えました。
しばらくして、息子が子馬に乗って遊んでいたら、振り落とされて足が不自由になってしまいました。隣の人が「気の毒に、息子さん、かわいそうにな」と同情しました。
彼は、「骨折して足が不自由になったことが、どうしてかわいそうだって、あなたに分かるんだい?」と聞き返しました。
突然、隣の国との戦争が起こりました。隣人の家の息子さんは徴兵されて、戦死して帰らぬ人になりました。隣人は、「君はラッキーだね、君の息子は落馬して足を折ったおかげで徴兵を免れて、今も元気に生きている。私の息子はいなくなってしまった。私はなんて不幸なんだ・・・」と言ったが、彼は、「どうして、それが不幸なことだって分かるんですか?」と聞きました。
ある出来事に対して、性急な判断は拙速かもしれません。しかし、いつも「良いか?悪いか?」「黒か?白か?」でだけ物事を判断する人がいます。本当の意味で「良いか?悪いか?」「黒か?白か?」を判断するのは神様です。
目を閉じて心の目を開き、限りあるこの地上から永遠に目を向け、あなたを造り、あなたを導いておられる全能の神に聞いてみてください。
聖書は、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(ローマ8:28)と語ります。
神はマイナスをプラスに変えてくださるお方です。マイナスであっても、それが共に働いてプラスに変えてくださるのが神様です。神に信頼し、神に聞くならば、全てのことが共に働いてプラスになっていることが分かるので、全てを感謝するのが一番です。
プラスのことはプラスですが、マイナスもプラスに変わるからです。ピンチこそチャンスです。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(Ⅰテサロニケ5:16~18)
心のスイッチを神に切り替えて、喜び、感謝し、祈りながら、良い1日をお過ごしください。今日もありがとうございます。
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