あるユダヤ教の教師の家庭。息子が突然、「キリスト教に改宗したい」と言い出した。両親はショックのあまり言葉を失い、夜一心不乱に祈り始めた。すると、急に天から神が現れた。そこで両親はこう叫んだ。「主よ、私たちの息子がキリスト教に改宗すると言っています。あの憎きキリスト教に息子が盗まれてしまいました!!」。すると神は、ため息1つ付いてこう言った。「実は、私の息子もそうだった」
人生は何が起こるか分かりません。一寸先は闇なのか、光なのか。でも、なるようになる「ケセラセラ(Que sera sera)」で生きていったらいいのでしょうか。
仏教徒のリチャード・カールソンという人が書いた『小さいことにくよくよするな!―しょせん、すべては小さなこと』という本がベストセラーになりました。この題名は説得力があります。
聖書は何と言っているでしょうか。2千年も前から「何事も(大きいことも、小さいことも)思い煩ってはならない。(くよくよするな!)ただ、事ごとに、感謝をもって祈りと願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい」と語っています。
「ケセラセラ(なるようになる)」ではなく、「神が共におられるから大丈夫!」と言っているのです。
確かな土台を持って、くよくよしないで、楽しみながら新しい1日を迎えましょう。全ては、自分を造られた神を信じ、頼り、たたえるところから始まります。
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