人の言語は2重構造になっています。1つはhuman-logos(中枢言語)で、人がLogos なる神 (Theo-logos)の姿に似せて造られたとき、全人類共通要素として与えられ、各自の脳に内在する言語です。もう1つは外的言語で、人間同士の意思伝達手段として使われる空気振動による音声記号です(文字もその機能は音声記号と同じ)。
私たちが普段「ことば」と呼んでいる日本語とか英語などは、外的言語すなわち音声記号です。これら2つがそろわないと人と人の対話は成立しません。一方、Theo-logosなる神は外的言語、すなわち音声記号を必要としません。なぜなら空気生成以前に存在し、空気はTheo-logosによって造られたからです。だたし、神は必要に応じて音声記号も利用するので、人対人、神対人の意思伝達方法は以下のように多様化しています。
1. 人対人
human-logos(語り手の思い) ⇒ 音声記号(空気振動) ⇒ human-logos(聞き手)
*人は音声記号(または文字記号)を使わないと自分の意思や思いを相手に伝えることができません。日本語や英語といった外的言語はそのために存在します。
2. 人を対象としない神の一方的意思表明
音声記号抜きでのTheo-logosの一方的宣言となります。 例:「光あれ」(創世記1:3)
*これらは空気振動に依存しない宣言でしたが、後に聖書に文字として保存されました。
3. 人に対する神の意思表明
① Theo-logos ⇒ 文字記号(聖書) ⇒ human-logos
*聖書は神の意思や思いが文字化されたもので、人は聖書を読むことにより、御心を知ることができます。
② Theo-logos ⇒ human-logos
*音声記号抜きで、人の心に直接的に御心が示されるケースです。多くの場合、聖書の言葉に沿ってhuman-logosに響く神の啓示です。
③ Theo-logos ⇒ 幻 ⇒ human-logos
*「主のことばが幻のうちにアブラムに臨み」(創世記15:1)というケースのように、目覚めているときに幻が映像のようにhuman-logosに投影されるものです。(私は体験したことがありませんが)
④ Theo-logos ⇒ 夢 ⇒ human-logos
*ヨセフの夢をはじめ、聖書には夢を通しての啓示が多く記されています。(私は体験したことがありませんが)
⑤ Theo-logos ⇒ 空気振動(音声記号) ⇒ human-logos
*人はしばしば人間同士の会話のように、物理的な音声を通しての神の声を聞くことがあります。(私は体験したことがありませんが)
- 聖書には天使が音声を使って人と会話した記録が多く残されています。
- 人となられた御子イエスは、普通の人間のように口を使って話しました。
- 超自然現象的な空気振動によって神の声が発せられたこともあります。モーセが聞いた燃える柴からの声や、使徒たちが聞いた天からの声などです。
4. 神に対する人の意思表明
① human-logos ⇒ 音声記号(祈り) ⇒ Theo-logos
*人は多くの場合、声を出して自分の思いを神に伝えます。これが祈りです。
② human-logos ⇒ (黙祷) ⇒ Theo-logos
*Theo-logosなる神は、もともと音声記号に依存しないので、黙祷という形の意思伝達が可能となります。
③ human-logos ⇒ (伝達意思に関係なく) ⇒ Theo-logos
*human-logosを造られた神は、人が密かに心の中で思っていることを察知します。
神としてのイエスは、律法学者たちが心の中で思っていることを音声として聞かなくても、その内容を察知することができました(マルコ2:8)。すなわち、神の前では、人の心は総ガラス張り状態で、奥の奥まで知られているということです。
昔の信仰の先輩たち、特に旧約聖書に登場する多くの人たちは、神と込み入った対話をしたようですが、幻とか、夢とか、天使とかが明記されていないケースでは、上のどのタイプの意思疎通が行われたのでしょうか? 興味があります。
ただ聖書が完成している今、3の「人に対する神の意思表明」の中の③④⑤を体験した場合、聖書の教えと符合するかどうかの吟味も必要かと思います。偽預言者になる危険性もありますから。
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