ギリシャ正教、ロシア正教とは何か。
キリスト教会は、地域により、瑣末(さまつ)な教理の違いなどにより、流れが分かれました。
ギリシャ正教は東方教会ともいい、古代ギリシャの文化的伝統を背景とし、正しく神を賛美することを追求するもの。使徒時代の伝統の忠実な継承を自認しています。
1. 歴史
ローマ帝国分裂後、西方教会と東方教会は微妙な違いが生じ、特にローマの首位権をめぐり対立し、聖霊発出論争、イコン崇敬問題を経て、AD1054年に正式に分裂した。東方教会は、東ローマ帝国、ビザンチン帝国の下で発展し、周辺スラブ地域に宣教し、ロシアも改宗した。東方教会は教皇皇帝制をとって、キリスト教世界の東の防波堤になったが、イスラム勢力に圧迫され、ついに1453年にオスマントルコにより、首都(総主教座)陥落。その中心はロシアに移った。
2. 組織
統一的組織はない。各国ごとに独立した次の九つの総主教座が連携しながら存在し、運営する。① コンスタンティノポリス、② アレキサンドリア、③ アンテオケ、④ エルサレム、⑤ モスクワ、⑥ セルビア、⑦ ルーマニア、⑧ グルジア、⑨ ブルガリア。この他、自治独立教会として、キプロス、ギリシャ、アルバニア、ポーランド、チェコスロヴァキア、フィンランドなどがある。
3. 神学
神秘主義的傾向を持つ。哲学的・思弁的である。要点は次に。
- 「神は本質において人間が近づき得ない、認識し得ない。一方でエネルゲイア(現実態:アリストテレスの哲学用語)において自らを現す神である。救いは、この神との交わりを得て、神の命にあずかる者とされることだ」
- 「全てを超越する神を知るためには、この世のほかのものを否定し続ける必要がある」(否定神学)
- 聖霊論が独自である。「唯一の源である父なる神から御子が生まれ、聖霊が発出するが、それらは互いに均衡し、助け合う」「人は堕落したが、御子の受肉によって堕落前の状態に回復され、再び自由意思によって神に向かう者とされた。マリアが人間の代表として受肉に同意したことにより、人間の堕落の悲劇は解消されたから、マリアは生神女(しょうしんじょ)である」として高い位置に置く。また、「真理を伝え、信仰を導くものは、聖書と聖伝である。聖書も聖伝から離れてはあり得ない。聖書も聖伝も聖霊の現れであり、一つのものだ。聖伝は、教会内の伝統的な教理・礼典・図像学(イコン)に表れる」とする。
- マリアの就寝(被昇天)、死者のための祈り、聖人崇敬を認め、修道制をとる。しかし、煉獄・免罪符・マリアの無原罪懐胎は認めない。
4. 典礼
礼拝を“奉神礼”という。13世以降、次の七つの機密を行う。洗礼、傅膏(ふこう:受洗後の聖油塗布)、聖体(聖餐式に当たるもの)、痛悔、神品(聖職者叙任)、婚配、聖傅(病気全快の祈り)である。その中心は聖体礼儀である。
5. 教会堂
正面が東を向くように、船か十字架の形に建てられる。屋根は、火(聖霊)の形をとってネギ坊主型をとる。
6. イコン
イコンとは聖画像のことである。一般には、テンペラ絵の具による板絵形式をとるが、金属の打ち出し、石の浮彫り、フレスコ画、モザイク、織物、聖像旗などもある。描く内容は、キリスト、生神女(マリア)、使徒、福音書記者、旧約の預言者、天使、聖人、三位一体、大祭、聖書の主な出来事などである。
イコンをめぐっては常に、偶像崇拝ではないかと論じられ、東ローマ皇帝の禁止令もあった(AD726年)が、第7回総会議で“崇敬”が承認された(AD787年)。その後も破壊活動が再燃したが、最終的には崇敬論者が勝利した。
イコンは正教信仰において非常に重要な位置を占めている。教会堂の壁にはイコンが一定の順に配列され、信徒はイコンを前にして奉神礼(礼拝)に参列し、聖体礼儀にあずかる。家庭でも、東の右隅に神棚のようなイコンを取り付け、灯明をともし、その前で祈りをささげる。携帯用のイコンもある。
イコンは目で見る聖書の役目を果たすとともに、教理と祈りの両面を総括するものとなっている。しかし、“崇敬”が実態上は“崇拝”となっている点に疑念が残る。
7. 暦
イースター(復活祭)が最大の祭りで、クリスマス(降誕祭)よりも盛大に祝われる。
8. 聖職者
カトリックにほぼ対応する職階制を持つ。総主教、府主教、大主教、主教がおり、司祭・輔祭の職はさらに幾つかの段階がある。妻帯聖職者と独身聖職者がいる。必ず、髭(ひげ)をたくわえる。
9. 聖書と聖歌
旧約は外典を含むが、新約は27巻である。聖歌は、(肉声は精神的に勝るとのビザンツの伝統に立ち)楽器なしの肉声で歌う。
10. 日本へ
1861年以降、ニコライ・カサートキンが精力的に伝道し、「日本ハリストス正教会」などの基礎を築き、一時は信徒数4万人ほどになったが、日露戦争やロシア革命、シベリア抑留などの政治・軍事の悪影響で衰微している。
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