バイクの運転歴は28年になりますが、いつもバイクは怖い乗り物だと感じます。こちらがテクニックを持っていて安全運転をしても、相手が無謀で間違った運転をしたとしたら事故に遭う可能性もありますし、命を落としてしまう可能性もあります。いつも祈りながら慎重に運転します。
同時に、バイクは面白い乗り物です。面白さの一つは、見る方向に向かって進んでいくところです。カーブを曲がるとき、私はカーブのずっと先の出口を見ています。そうすることで、カーブをきれいに曲がることができます。
対向車の車や障害物を見て、「怖い、どうしよう、ぶつかるかもしれない!?」と思っていたら、体に力が入り、見た方向目がけて進んでいきます。
私たちの人生も似ています。どういう未来を描き、期待し、信じているかで、その方向に向かって生きていくことになります。
イエス・キリストは、「あなたの信じたとおり、あなたになる」と言われましたが、今日、「あなたが信じている夢があなたの未来になる」のです。
先日は、「苦しいときは私の背中を見なさい」という「なでしこジャパン」の澤穂希選手の言葉と、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」(ヘブル12:2)という聖書の言葉を紹介しました。
何を見るか!? 誰を見るか!? これが人生を決めてしまいます。
旧約聖書に登場する偉大な預言者であるエリヤには、エリシャという後継者がいました。エリシャは、師匠であるエリヤに、「あなたの2倍の油注ぎをください」と願いました。エリヤは偉大な預言者でしたが、エリシャは、エリヤのさらに2倍の力と能力を求めました。
エリヤはエリシャに、「あなたはむずかしい注文をする。しかし、もし、私があなたのところから取り去られるとき、あなたが私を見ることができれば、そのことがあなたにかなえられよう。できないなら、そうはならない」(Ⅱ列王記2:10)と語りました。
これは、どういうことでしょうか? エリシャが、エリヤが天に昇る姿を見るためには、「だるまさんがころんだ」や「かくれんぼ」のように、「パッ」と見て、「エリヤ先生、見いつけた!?」とすることなのでしょうか?
そうではありません。エリシャがエリヤの天に昇る姿を見るためには、いつもエリヤを見ていなければその瞬間を見過ごしてしまいます。
聖書は、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」(ヘブル12:2)と同じことを語ります。
エリシャがエリヤをいつも見ていたように、私たちも、「いつもイエスを見続けて」いきたいものです。
私たちが、心と信仰の目でイエスを見続けるならば、決して失望することがありません。
「彼に信頼する者は、 失望させられることがない」(ローマ10:11)
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菅野直基(かんの・なおき)
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッション等、地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での讃美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式等、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
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