「そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われた。信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった」(使徒2:43~47)
今日の聖書の箇所は、教会本来のあるべき姿、教会の中に流れているエネルギーが描かれています。2000年前の、誕生したばかりの教会から、教会のあるべき姿をしっかりと受け止めたいと思います。
1. 神による不思議な一体感があった
この時、以前からのイエスの弟子たちや、救われたばかりの3000人の弟子たちもいました。老若男女さまざまでしたが、束縛ではなく神の愛と信仰によって一体感がありました。現代は、みんなバラバラになりつつあり、家族での食事もバラバラになりがちです。人は、創世記にあるように、一人で生きていくようには造られてはいません。
2. 一緒に集まり、時間と空間を共にした
一体感をより確かなものにするために、一緒に集まり時間と空間を共にしました。人間は、放っておくとみなバラバラになってしまいます。そんな中で、私たちが、同じ時間に同じ場所で過ごすことができるというのは、非常に大きな恵みです。神は、時間の流れと空間の広がりの世界を造られました。この地球上には70億の人々が生活していますが、同じ時代を生きていても、出会える人は限られています。他人のまま終わる人がほとんどです。しかし、私たちは神の家族として教会に集い、共に手を取り合って互いのために祈ります。時間と空間を共有できる兄弟姉妹がいることを喜びたいと思います。
3. 必要のために恵みを分かち合っていた
当時のクリスチャンは、立派な建物としての教会もなく、整ったシステムや制度もありませんでしたが、お互いの必要のために、分かち合うことを知っていました。今は、個人の権利を主張し、独り占めの時代です。イエスの有名なお言葉に「受けるよりも与える方が幸いである」とあるように、イエスはご自身の愛を惜しみなく与え、命さえ与えてくださいました。私たちも、弱い立場の人や一人で困難を抱え込んでいる人のために配慮し、愛を持って恵み、真心を分かち合いましょう。
4. 神への喜び、賛美、感謝があふれていた
2000年前は、「命」が安い時代でした。戦争は当たり前。人の命が売買され、虫けらのように殺され、医療も整っていませんでした。人は簡単に死に、つらく悲しいことがあふれていましたが、教会には喜び、笑顔、平安がありました。人々はどんどん集まってきました。21世紀においても、感謝、笑顔があふれ、喜びの実感のある教会でありたいと思います。
5. 常にイエスの臨在と御業があった
神への畏れがあり、家でパンを裂き、イエスの十字架を記念する聖餐式が行われ、毎日救われる人々を神が加えてくださいました。教会は、単なる慈善団体や社会福祉法人ではありません。今も聖霊が働かれる場所が教会です。イエス・キリストの臨在のある教会であり続けたいのです。聖書は、21世紀を生きる私たちの教会、信仰にもそのまま当てはまる神の真理です。時は流れても真理は変えてはいけません。これからクリスマスに向けての集会も、単なる習慣でなく、命を与えてくださった神に感謝して、教会の本質を忘れず歩みましょう。
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万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。