「見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。あなたがたは喜びながら、救いの泉から水を汲む」(イザヤ12:2、3)
音楽療法士の専門学校の学生が老人ホームで、ボランティアで歌の指導をしました。しかし一人のおじいさんだけどうしても仲間に加わろうとしません。しかし『故郷』という曲を歌い始めると、そのおじいさんも引かれるようにして仲間に入ってきました。きっとその人にとって、思い出深い曲だったのでしょう。人は皆、心の中に自分の歌を持っているのです。
そして人は、その自分の歌を歌いながら歩むとき、自分らしく自己最高の人生を歩むことができるのです。しかし、私たちはしばしば忙しさの中でゆとりを失い、心の歌を歌うのを忘れてしまうのです。心のゆとりを持つために、いくつかの大切なことがあります。
(1)自分の位置を知る
人は、自分の居場所を見つけるまで不安なのです。「そこに居てもいいよ」と言ってほしいのです。
ある女性が結婚を控えて、病院に行きました。診断の結果、子どもが産めないかもしれないと宣告されました。失望のあまり、彼女は彼に結婚解消を申し出ました。彼はびっくりしてその理由を尋ねました。そして彼は、彼女に言いました。
「バカだな、ボクはキミと結婚したいんだ、子どもはいなくてもいいじゃないか」。彼女はその言葉を聞いたとき、「このまま永遠の眠りについてもいい」と思ったそうです。「キミのそのままを愛しているよ」と言われるとき、人は安心し、リラックスし、自分らしさを発揮できるのです。
神のあなたに対する語り掛けに、耳を傾けてください。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)
この神からの愛の言葉を心にしっかりと受け止めて歩む人は、いつも安心して自己最高に向かって歩み出せるのです。
(2)良き事に心をとめる
どんな状況の中にあっても、神は必ず良き事をその中に置いてくださっていると信じることです。
アメリカの女性作家ポーターの小説の主人公であるポリアンナは、陽気で楽天的な少女です。どんな状況の中にあっても、“良かった探し”ができる天才でした。誕生日のプレゼントに間違って松葉杖が贈られたときも、「私はこれを使わなくても歩けるから良かった」と大喜びしました。彼女の“良かった探し”ゲームは、やがて村中に広がり、村中の人々が幸せになっていくのです。
聖書も私たちに教えています。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」(Ⅰテサロニケ5:16~18)
(3)確かなものにつながる
今、医療の現場での問題点は、老人医療、脳死と臓器移植、病名告知、ターミナル・ケアの4つだといわれます。
なぜ難しいかといえば、これらは人間の尊厳性にかかわる問題だからです。相手が機械なら、事は簡単です。「もう寿命ですから廃棄しましょう」と言えます。
人間は、最後の瞬間まで人間としての尊厳性を保ったまま生きることを望むものです。しかし、現実社会は「できるか、できないか」「持っているか、持っていないか」という物差しで人を計ろうとします。すると人間は、年とともに「できない人」「持たない人」へと移っていくので、年齢とともに自分に対する価値観を失っていくのです。
しかし、私たちに命を与えてくださった神は言われます。
「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう」(イザヤ46:4)
人の心の中にある歌は、ゆとりある生き方の中で解き放たれるのです。あなたもこの神にしっかりとつながるなら、あなたの心の中にある歌を力の限り歌いながら人生を歩んでいけるのです。
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