・・・その女を見て、呼び寄せ、「あなたの病気はいやされました」と言って、手を置かれると、女はたちどころに腰が伸びて、神をあがめた。すると、それを見た会堂管理者は、イエスが安息日にいやされたのを憤って、群衆に言った。「働いてよい日は六日です。その間に来て直してもらうがよい。安息日には、いけないのです。」しかし、主は彼に答えて言われた。「偽善者たち。・・・この女はアブラハムの娘なのです。それを十八年もの間サタンが縛っていたのです。安息日だからといってこの束縛を解いてやってはいけないのですか」・・・(ルカの福音書13章10~17節)
安息日の出来事、イエスは18年間腰の曲がった女性を癒やされ、御業を現しました。それを見た律法学者たちは、安息日に仕事をしてはいけないと裁きます。安息日は神を礼拝する日で、仕事をしてはいけないという決まりが、形式的なものになっていたのです。イエスは律法学者たちに、安息日に牛やろばに水を飲ませに連れて行くでしょう、自分のものならば大切にするでしょう、と言われ、彼らの思い違いを諭されます。ルカの福音書では、しばしば神の愛について語り、それは父なる神の愛であると語っています。この女をアブラハムの娘、神の愛する、神の民の一員と呼び、苦しんでいる者を助けるのが父の愛であり、その神の愛をとどめるものは何もないと語っています。ここから3つのことを確認しましょう。
1. 神と呼ばれるのにふさわしい神
あなたの病気が癒やされるか、癒やされないか決めつけてはなりません。現代の医学が常識としている法則があり、担当医が名医で、神の手と呼ばれているかもしれません。しかし彼らは神ではなく人です。神は大きなお方で、神の御心はもっと豊かです。命の与え主であり、創造主です。弱い者を悪魔の力から解放し、救ってくださるお方です。人の知恵や思い込み、世の中の常識、医学の鉄則で神の御業を束縛してはいけません。人間の思い、律法を超えて働かれる神がおられます。神にはどんなことでもできます。その神を信じ、真の礼拝をささげましょう。
2. ありのままを癒やしてくださる主
2つ目に学びたい鉄則は、ありのままの弱さを取り扱い、癒やしてくださる神様がいるという事実です。神の癒やしというと、生まれつき目が見えないなど、大きな病でないと恵みをいただけないとか、特別な信仰がなければ癒やされないというような、霊的な距離を勝手に作ってはいませんか。そして自分とは無関係だと思ってはいませんか。この女性は、人生の根本を狂わすような重大な病気ではありませんでした。しかし、イエスは癒やしてくださいました。あなたの症状が小さな病気であっても、ありのままの姿を受け止め、強め癒やしてくださいます。どんな大きな病気であってもイエスに大きすぎるものはないと同時に、小さすぎる病もありません。
3. 溢れ出る神の愛
この腰の曲がった女性は、もういなくてもよい年寄りに見えるかもしれません。でも主は癒やされる理由を、神の子の1人だからと言われ、溢れるほどの神の愛を示してくださいました。神の愛は放蕩息子(ルカ15章)に現された愛です。普通なら勘当が当たり前の息子を待ち続け、帰ってくると息子のあかしである指輪をはめ、祝ってくれたではありませんか。これが神の愛です。弱くて愚かで足りない私たちですが、父なる神の愛は、溢れ出る神の愛、癒やしの根本は、溢れて溢れてとどまるところのない神の愛です。私たちを子どもとして愛してくださる神の愛です。神の臨在を信じ、ありのままの姿で主の前に出、溢れる愛と癒やしをいただきましょう。
◇
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。