堀内端姉が、美濃ミッションの友人に富雄キリスト教会を紹介され、毎週通うようになったのもそのころである。彼女は礼拝のオルガン奏楽の奉仕をしてくれた。
彼女は中国からの引き上げ者である。父親は中国・青島商業高校の校長で、戦時中もキリスト教徒として多くの中国人を助け、今でも青島でその遺徳が偲ばれるほどの有名人だった。兄弟たちも著名な大学教授や医者として活躍した。すぐ上の兄は、よど号ハイジャック事件の時、医者として北朝鮮にまで同乗、後に浜松医大の学長となった方である。
彼女の悩みは長女が精神的に弱っていることだったが、いっしょに礼拝に出られるようになり、喜んでいた。ところが今度は、地元の名門高校に通う秀才だった長男が、大学受験を控えて病気にかかった。それでも何とか国立大をはじめ、有名私立大学にも合格したが、大学の入学式当日、入学するはずだった大学の大学病院に入院するという試練が襲った。
彼女の家を訪ねた私に、彼女は「牧師さん、なぜこんな試練が続くのですか?」と問うた。私は聖書を開き、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(2テサロニケ5:16-18)という聖句を読んだ。「どうしてできるのですか?こんな時に感謝するなんて、ひどすぎます」と彼女は言った。聖書を開いた牧師も、「私もそう思いますが、神のことばです。従いましょう」と答えた。今から思えばずいぶん乱暴な話だが、それが神の御旨だった。私たちは2人とも泣きながら祈り、感謝した。
その日から堀内姉のリバイバルが始まった。ほんとうにすべてのことに感謝するのが、彼女の人生の花飾りとなり、いつも喜び祈りつつ感謝し、感謝しつつ祈り続けた。息子は大学卒業後、一流企業に就職、自らバプテスマを受けた。娘も自立した。次女は有名大学出身の才媛で、幸せな結婚をし、教育者として活躍している。
彼女の墓碑銘には、その生涯をかけて従ったみことば「いつも喜べ。絶えず祈れ。すべてのことに感謝せよ」が、彼女を愛し、理解し支えてきたご主人の希望で刻まれ、墓地を訪れる人々に、信仰によって今もなおあかし続けている。
堀内姉も、大森姉と同じ日に水のバプテスマを受け、教会の礎石として牧師を支え続けてくれた。この日、いっしょにバプテスマを受けた井上兄は、その後も忠実に信仰生活を守り、今も家族そろって礼拝を守って、教会の大きな支えとなっている。もう一人の伊藤姉妹も、長年にわたっていつも教会の支えとなってくれた。後に東京へ転勤したが、その後も恵まれた信仰生活を続けている。この日バプテスマを受けた四名と吉川姉が、富雄キリスト教会の土台となった兄弟姉妹である。
それ以外にも、多くの兄弟姉妹が救われた。ここに全員の名は記せないが、私は牧師としてそのような方々を忘れたことはない。いつも主の祝福あれと祈り、感謝している。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。(Amazon:天の虫けら)