1597年2月5日、長崎・西坂の丘で、豊臣秀吉の発令によって、20人の日本人と6人の外国人宣教師が、京都や大阪から連行され処刑された。ここで殉教した26人は、1862年、ローマ教皇ピウス9世により聖人とされ、日本二十六聖人と呼ばれている。カトリック教会では、2月5日を二十六聖人の殉教の日として、毎年記念行事を行っている。
現在殉教の地は「西坂公園」として整備されており、列聖から100年を迎えた1962年に、クリスチャンである彫刻家の故舟越保武氏によって記念碑が建立された。高さ約5・6メートル、幅約17メートルの御影石の台座に、ブロンズ像の二十六聖人像が配され、1981年にはローマ教皇ヨハネ・パウロ二世が訪れ、祈りをささげたことでも知られている。
長崎市では、今年3月の「信徒発見150年」に合わせ、昨年10月から16年ぶりに二十六聖人の記念碑を修復し、先月27日に、作者の舟越氏の親族が色合いなどを最終確認した。修復前は、長年の雨風にさらされ、ブロンズの着色がはげて白っぽくなっていたが、修復により当時の青緑色がよみがえった。今月1日には、修復が終わった記念碑前で二十六聖人にささげるミサが開かれている。
二十六聖人にささげられたカトリック教会は、長崎の大浦天主堂をはじめ、各県各地に存在する。東京にある本所カトリック教会もその一つ。毎年この時期には、日本二十六聖人殉教祭のミサが執り行われている。
同教会のウェブサイトによると、幸田和生司祭は昨年の記念ミサで、「いのちが一番大切だと思っていたころ、生きるのが苦しかった。いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった」という星野富弘さんの詩を引用しながら、「いのちより大切なものは何か」と問い掛けた。この世のいのちは尊く、会社や国家の犠牲になることはあってはならないとしながらも、「肉体のいのちよりも大切なものは、いのちの源であり与え主である神とのつながり、そして人と人との愛のつながりだ」と話した。
今年もまた、二十六聖人が殉教したあの日を迎えた。弾圧と苦難の歴史である二十六聖人の殉教を、信仰者はどう受けとめていけばいいのか。信仰者にとっていのちより大切なものは何か。美しくよみがえった二十六聖人像に思いをはせて、静かに考えてみたい。