・・・テマイの子のバルテマイという盲人のこじきが、道ばたにすわっていた。ところが、ナザレのイエスだと聞くと、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と叫び始めた。・・・そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。(マルコの福音書10:46~52)
インドネシア伝道から戻って日本での礼拝を守り、とんぼ返りでマレーシアへという2週間の海外伝道から戻りました。出発の朝、台風18号が上陸。ほかの便が全て欠航する中、不思議に私の乗る国内便と国際便だけが運行して、無事マレーシアへ着くことができました。また渡航前日の夜中に足をひねり、内出血もしていましたので、骨にひびが入ったかもしれないと思いました。激痛で眠れませんでしたが、翌日には歩くことができ、働きに支障はありませんでした。私も、祈りつつ歩むと、主は生きて働いて下さるという体験をさせていただきました。
今日は「あなたの信仰があなたを救ったのです」とイエスに褒められたバルテマイの癒やしの箇所です。聖書の登場人物の中でイエスに褒められた人は決して多くはありません。ここから、私たちの持つべき信仰はどんなものか学んでいきましょう。
1. 自ら行動を起こす信仰
バルテマイは生まれつきの盲人で、道端で物乞いをして生きていました。すると、イエスの一行がエリコの町から出て来ました。あの騒がしい音はうわさに名高い救い主イエスの一行だと分かった瞬間、人々に勧められるまでもなく、自ら「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫び始めました。日本人は集団意識が強く、自ら行動を起こすことが苦手です。しかし、イエスの恵みを受けるには、心の中で分かっているつもりの信仰ではなく、バルテマイのように、自ら率先して行動に移すことです。あなたの病の癒やしのために、求めて真っ先に祈るべきは、あなた自身です。
2. 祈り求め始めたら諦めない
48節、周りの人は黙らせようとしましたが、彼はますます「私をあわれんでください」と叫びました。人々から止められても、イエスの注意を引こうと、声を張り上げ続けたのです。これは、イエスの恵みをいただくときに、1度や2度で祈ることをやめず、人々から諦めよと言われても、妨害されても求め続けることが大切であることを教えています。バルテマイのように、イエスに対する信仰を諦めない! 祈り続け求め続ける信仰を与えられようではありませんか。
3. 求めていることをはっきりと申し上げる
騒いでいるバルテマイの声は、イエスに届きました。51節、イエスは「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられました。バルテマイは何のためらいもなく「私の目が見えるようになることです」と単刀直入に、イエスにお伝えしたのです。すると「あなたの信仰があなたを救ったのです」と褒められ、目が見えるようになりました。「救った」はギリシャ語でソーゾー、「癒やす、治す」とも訳される言葉です。彼は目が見えなかったために、物乞いをして生きるしかなかったのです。夢や希望を持てなかったバルテマイが、神によって目が見えるようになり、人生そのものが救われ、変えられた素晴らしい物語です。
私たちもイエスに向かって、諦めず祈り続け、求めていることをはっきりと伝えて祈ってまいりましょう。21世紀のこの日本においても「あなたの信仰があなたを癒やした」とイエスに言っていただけるような信仰を求めてまいりましょう。
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万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。