やがて年度代わりになり、社長から直々の辞令が下りた。女性だけの営業所を作るので、所長になれということだった。長年勤めて成績も良い社員ではなく、入ったばかりの者になぜと、私も最初は辞退した。ところが社長は「榮さんが牧師さんだから、安心してお願いするのです。ぜひ新しい試みを成功させてください」と、ビルの八階のフロアにナショナル・ミュージック・センターという営業所を設置してくれた。本社採用の女性が、事務担当として派遣された。この仕事は結果的には成功した。もう三十年も前のことだが、女性パワーは他の営業所の男性に負けないくらいの好成績を上げてくれた。
その間に、富雄キリスト教会には新しい会堂が与えられ、私は仕事を辞める時が来たと聖霊に促された。信徒も会社も仕事を続けるように望んだが、主の時は今だと確信し、惜しまれつつ会社を辞め、フルタイムの牧会伝道に戻ることにした。
この二年間は、実に多くのことを学んだ貴重な時間だった。信仰によって生きることは会社でも通用すると知った。イエス・キリストのことを仕事の場で話しても、問題はないことも分かった。酒や宴席も、自分は飲まなくても、にこやかに対応すれば座をしらけさせることもないし、そのような時こそ、主のあかしができることも体験した。何よりも大きかったのは、見ず知らずの人と何のわだかまりもなく話せるようになったことだ。「自分は田舎者で、歌も歌わず、スポーツもしない。学歴もないし、知識も足りない。貧乏で・・・」といった劣等感も、主の恵みでうそのように消え、自信にあふれていた。心を開いて交われば、どんな人も心を開いて、自分から悩みを打ち明けてくることも知った。まさしくこの二年半は、もう一つの神学校だったのだと今でも思っている。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。