翌日は早く出社したが、千田所長だけでほかにはまだだれも来ていない。五分くらい前になると、「おはようございます」と元気よく、次々にドアを開けて入ってくる。すごい、みんなやる気だと感じた。本を棚から出し、思い思いにかばんに詰めている。「榮さんも早く本を用意しなさい」と言われ、手当たり次第にいっぱい詰め込んだ。何しろ昨日の面接で、この本は見せるだけで飛ぶように売れるという説明を聞いたのだから。
所長の激励が終わると、ビルの前に待機していたマイクロバスに飛び乗り、予定のコースへまっしぐらだ。勢いのある者から順番に飛び下りる。「行ってきます」という声まで弾んでいる。最後まで乗っていると、運転手と二人だけになった。この人が指導してくれるのかなと思い、じっと座っていると、「榮さん、早く降りなよ。ラストだよ。最初に降りた堀川君なんか、もう何本も上げているよ」と促された。指導も何もあったものではない。売ればそれで良かったのだ。困ってしまった。訪問伝道なら少しは慣れているが、それすらも断られ専門だった。そんな私が「本屋です」と言っても、だれも相手にしてくれない。かばんに思いっきり詰め込んだので、重くて重くてふらふらになった。昼が過ぎても一冊も売れない。やがてバスが迎えにくる。帰路は何冊売れたかの武勇伝が、あちこちから聞こえてくる。日当ゼロ、昼食はなし、交通費は持ち出し。家内には大金を稼ぐと言って出てきた。顔向けできない。
翌日も翌々日も売れない日が続いた。それでも四日目ごろから、真面目に軒並みに訪ねたごほうびが出始めた。あいさつをすると、何も言わないのに、「何持ってきたんや?見せてみ。なんや、本か。なんぼや?買うたるわ」。売れた。奇跡のようだった。ほとんど説明もしないのに、会社の休み時間や、市役所、職員室、商店、美容室、貸しビルの小さな会社、町工場、仕事中だろうが、休み時間だろうが、おかまいなしだ。売れる、売れる。本などまるで初めて見るような感覚で、喜んで愛しそうになでている人を見ると、こちらまでうれしくなる。売って売って売りまくる感じだ。帰りのかばんは、ほとんどからっぽ。「榮さんには、キリスト様がついているから、かなわんわ」と、冗談とも本気とも取れるように言う仲間たち。
売れる喜びももちろんあったが、これでトラクトが作れる、伝道会が開ける、人々に良い知らせを伝えることができる、という喜びのほうが大きかった。さっそく教会案内のトラクトを作り、毎朝五時に起きて、早天祈祷もかねて配布した。仕事をしているから伝道しないのだとは言われたくないから、伝道会を毎月五日間続けて開き、「直行・直帰」の特権をフルに活用させてもらった。売り上げが上がるから、早く帰ってもだれも文句は言えない。神様のごほうびだったと今でも思っている。
二十四歳で初めて世の中で働いたが、仕事もやればできるという自信は大きかった。飲まなくても遊ばなくても、実績を見せれば人は一目おいてくれるのだ。
そんな私の姿をじっと見ている本社の社員がいた。武田さんといい、高校時代までは教会に行っていたが、大学に入ってから、信仰をもっていると世の中についていけないと思い、教会から離れ、飲めない酒もたしなむようになっていた。私が入社して三カ月目、彼はそっと耳打ちしてくれた。「榮さんの姿を見ていると安心しました。僕、これから教会に行きます」。彼はバプテスマを受けた。やがてフィアンセも信仰をもち、教会で式を挙げ、すばらしいクリスチャンホームが生まれた。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。