今年4月以来編集に携わってきた、インターネット新聞の時と場所を越えて報道や論説を伝え得る特徴を、聖霊ご自身の助け・支えによる聖霊論的恵みと受け止めています。弱き者により添い、それなりの実を結ばせてくださる、まさに助け主・慰め主ご自身の導きです。
しかしそれでもなお、紙・物質が持つ制約や困難を伴う本の出版を心より求めざるを得ないのです。一冊の本の存在と重みは、「聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれた」真の神が真の人間・からだとなられた、受肉の事実の恵みに根差し、受肉の恵みに類似すると私は見、聖霊論的恵みと受肉論的恵みの両面が大切であると改めて覚えます。
さらに一枚の絵画において、一冊の本にまさる驚くべき集中の事実を見ます。一人の画家が制作に注いだすべての時間が一枚の絵に受肉。さらに画家の生活と生涯の全てが一枚の絵に凝縮し、何百ページの本や何十冊の書物以上のメッセージを一枚の絵に描き得る、集中の徹底に圧倒されます。
事実をことばとして表現する言語活動において、インターネット新聞が、なお紙・本による集中的な伝達を望む。同様に、一枚の絵による伝達の集中力を力強く頼りがいのある、メッセージ伝達の協力者であると心ある著作者は深く理解し、主にある愛の共労を求めて行きます。たとえば、日本国憲法9条に見る平和の希求をめぐる、現今の危急の課題をめぐって、聖書をメガネに表現する使命において。
エペソ人への手紙2章14節で、「キリストこそ平和」との明確で根源的事実を、武力による「ローマの平和」が支配しているただ中で、パウロは、祈りつつ書き、書きつつ祈り(エペソ1:15〜19)、宣言しています。このような自分自身の実践に立ち、御霊による祈り(エペソ6:18)が必要不可欠である事実を、エペソ教会の人々に、そして現代日本に生かされる私たちに、パウロは心を熱くして勧めています。
御霊による祈りこそ、「キリストこそ平和」が単なるスローガンではなく、具体的に現実となる道であり、そのためにパウロは祈りつつエペソ人への手紙を書き、書きつつ祈っているのです。この書く営みに勝るとも劣らない集中で、一枚の絵が、キリストこそ平和の尊い歴史的提示である日本国憲法9条に見る平和の希求のメッセージを伝達し得ると期待します。そのような一枚の絵は、パウロの場合と同様、祈りつつ描き、描きつつ祈る御霊による祈りに支えられて実現されて行く。
日本国憲法の前文に証言されている近現代日本や戦後日本の歴史の闇と光が一枚の絵に描かれ、それを鑑賞する人々の心と生活や生涯に、生きたメッセージが伝達されてじっくり展開。そのような絵が一枚一枚、バイブル・アンド・アートミニストリーズ(B&A)の働きを通し生み出されていく、嬉しいじゃありませんか。