夕方になって、弟子たちは湖畔に降りて行った。そして、舟に乗り込み、カペナウムのほうへ湖を渡っていた。すでに暗くなっていたが、イエスはまだ彼らのところに来ておられなかった。湖は吹きまくる強風に荒れ始めた。こうして、四、五キロメートルほどこぎ出したころ、彼らは、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、恐れた。しかし、イエスは彼らに言われた。「わたしだ。恐れることはない。」それで彼らは、イエスを喜んで舟に迎えた。舟はほどなく目的の地に着いた。(ヨハネ6:16~21)
今回は、イエスの5つ目のしるしとして現わされた「イエスが水の上を歩き、嵐を静められた」不思議なお話です。科学の常識からすれば、現代の私たちには信じられない出来事が起こったのです。このしるしから3つのことを学んでいきましょう。
1. 自らの意志で働かれる主
人々は「5つのパンと2匹の魚」のしるしを見て、「これはもはや人間わざじゃない神のみわざだ。この方こそ救い主だ」と言い、イエスを王に祭り上げようとしました。当時のイスラエルは、ローマ帝国の支配下にあり、ユダヤ人たちは「メシヤの到来」を待ち望んでいましたので、イエスに「王様」になってもらってローマからの独立を実現して欲しかったのです。
しかし、イエスは私たちの思惑や都合で動かされるお方ではなく、明確な意志をお持ちです。後に「わたしの時はまだ来ていません」と言われたように、十字架の時を待っておられました。そうです、イエスの御心は、敵を打ち砕く力強い王ではなく、御自分の命を捨ててでも全世界の人々の罪をゆるし、神の子どもとし、本物の救いを与える救い主となることだったのです。人の思いや自然の力を超越した自らの意志で働かれる主なのです。
2. 自然の力も超越される主
弟子たちはイエスに先に行くように言われたのでしょう。舟に乗り込み湖を渡ってカペナウムの方へ進んでいました。すると突然の嵐で、舟が沈みそうになり、そこへイエスが湖の上を歩いて来られたのです。弟子たちは「幽霊だ」と驚きました。するとイエスは「わたしだ。恐れることはない」「嵐よ静まれ」と言われました。嵐は止み、イエスが舟に乗り込まれると、ほどなく目的地へ着くことができました。
イエスは水の上を歩き嵐を静めることができました。なぜでしょう。それは「光よあれ」と天地宇宙を創られたお方だからです。創られたお方なら創り変えることもできるのです。私たち人間は、台風や土砂災害などの自然の力に抗うことはできません。しかし天地宇宙を創られたお方には、自然の力であっても及びません。神(創造主)と私たち(被造物)の差を忘れてはなりません。現実の問題にも、全てを創られた神が介入されれば、奇跡と思えることが起こっても不思議ではありません。自然法則を超えるイエスが救い主としておられることを感謝したいと思います。
3. 常に私たちに近づいて下さる主
嵐の中で舟が沈みそうな弟子たちに、イエスは湖の上を歩いて、助けようと近づかれました。嵐の中、イエスの方から近づいて助けて下さったのです。苦しんでいる弟子たちに近づかれたように、主は私たちにも近づいて助けて下さっています。私たちを愛し、心配し、助け、私たちの到達すべき場所へと導いて下さっていることを感謝しましょう。御自分の意志で働かれ、自然法則を超える天地宇宙を創られた主が、私たちに愛を注いで下さっています。
イエスは直前の4つ目の御業を通して、弟子たちをしるしの当事者として巻き込みながらも、この5つ目のしるしにより、共にいるイエスご自身が神であり、人間のスケールをはるかに超えて働かれることを忘れてはいけないと教えておられます。
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万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。