富雄で初めて迎えた新しい年は、二月の夜の集会から変化が見えてきた。風通しのよい十畳一間で火鉢を囲みながらの集会が終わろうとした時、玄関のドアがガタピシと勢いよく開いた。そして威勢のよい声で「こんばんは。ここは何をする所かな」と、一人の青年が元気よく入ってきた。彼は上がり込むと、火鉢に手をかざしながら、しゃべるはしゃべる、二時間にわたって一人で話し続けた。酒でも入っているのではと思うほど、ひとしきり話すと、「さあ、帰るか」と言うなり、来た時と同じようにさっと帰っていった。三人とも呆気に取られて、「主よ、今晩初めて来たあの青年を救ってください」と祈るのが精一杯だった。
それから毎晩、彼、松田末作兄は遅い時間に現われて、「榮さん、松田や。今からいいかな」と上がり込み、二時間ほど話して帰っていくようになった。私と同年齢の彼は、近くで製材所をもち、夜遅くまで働き、仕事が終わると教会に来ていたのだ。やがてイエス・キリストを信じて救われ、バプテスマを受け、富雄キリスト教会が最初に導いた信者となった。
あまりにもみすぼらしい教会に驚いた彼は、新しい教会を作ろうと宣言した。地主も建て直しに好意的で、さっそく私たちの住まいにしていた五畳一間と小さな台所を残して、屋根をはぎ、のこぎりで家を半分に切り分けてしまった。そしてブロックを積み上げると、あっと言う間に十五坪、三十畳の礼拝堂が完成した。
彼は費用も支払い、ほとんど一人で建ててくれた。富雄に来て二年目、新しい真っ白い礼拝堂でクリスマスを祝う恵みが与えられた。彼はその後も、「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える」(詩篇1:3)との約束をしっかり握り、成功人生を走り続けてきた。現在は奈良市市議会議員として、若い日に情熱をこめて夢を語り合った時よりも、もっと大きな夢とロマンをもち、新しいビジョンに燃えて、人々の福祉のために邁進している。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。