マレーシアのキリスト教会は、同国のカトリック教会がその週刊紙「ヘラルド」で神の名をマレー語で「アラー」と呼ぶのを禁じる判決に対する上告を認めるよう求める申請を、最高裁に当たる連邦裁判所が却下したことに落胆している。
ヘラルド(英語電子版)は23日、7人からなる同裁判所の判事のうち4人がこの申請を却下し、その理由として控訴審がヘラルドで「アラー」の使用を禁じるのは正しかったからだとしたと報じた。
これによって、同紙の出版物における「アラー」という呼称の使用禁止はそのまま残り、それをめぐるマレーシアのカトリック教会の闘いは同日に終わったと伝えた。
マレーシア政府の統計によると、マレーシアの宗教人口は2010年の時点で61パーセントがイスラム教徒で、キリスト教徒は9.2パーセント。イスラム教の神と同じ呼称である「アラー」という言葉は、ボルネオ島にある同国東部のサバ州やサラワク州のキリスト教徒によって幅広く使われており、マレーシアのカトリック教会は、ヘラルドでその使用を禁じるのは信教と表現の自由の侵害だと主張していた。
連邦裁の却下について、マレーシア・キリスト教連合(CFM)は23日、「キリスト教徒、連邦裁への上告許可拒否に非常に落胆」と題する下記の声明文を発表した。CFMに所属する福音派プロテスタントのマレーシア全国福音キリスト教交友会(NECF)やマレーシアの全国的なエキュメニカル組織であるマレーシア教会協議会(CCM)も、この声明文の全文を公式ウェブサイトに掲載している。
CCMは総幹事のハーマン・シャストリ牧師・博士の名前で23日、「マレーシア教会協議会は連邦裁への上告に許可を与えるための上告裁判所の決定に落胆を表明」という見出しの声明文を発表した。
「CCMは、ヘラルド新聞が控訴裁判所の判決に対して上告することの許可を連邦裁が拒否したことに落胆している。連邦裁判所の裁判官たちの意見が分かれていたことは、連邦裁判所による本格的審理で審理される必要のある重大な諸問題があったこと、そして許可が与えられるべきだったことを明確に示すものである」と同声明文は述べている。「本日の判決がヘラルド新聞だけに関するものであることから、CCMはマレーシア語を話すキリスト教共同体が『アラー』という言葉を自らの祈りや礼拝で使い続けることができるという立場をとるものとする」
以下は、CFMの声明文(全文)の本紙による非公式訳。
ヘラルド紙事件で、ローマ・カトリック教会が控訴審の判決に対して上告することへの許可を連邦裁判所が拒否したことに、マレーシア・キリスト教連盟は当然のことながら非常に落胆している。
私たちは控訴審の判決や彼らの判決に到達するその理由付けには、非常に重大な欠点がとても多くの点においてみられると主張し続ける。単純な正義があれば、その判決に至った、控訴裁判所によるその多くの間違った不正確な記述や考察を正すために、上告が許可されることになったであろう。
マレーシアのキリスト教社会全体のための信教の自由に重大な悪影響がそれらの記述や考察から出ているが、しかし残念なことにローマ・カトリック教会は最高裁でそれらに異議を唱える機会を否定されてしまったのである。
司法長官は以前、2013年10月20日に発表した自らの声明文で、この判決はヘラルド新聞における「アラー」という言葉の使用にのみ関するものであると公に指摘していた。マレーシア政府の法律顧問であることから、私たちは彼とマレーシア政府がその立場であるとみなす。
ローマ・カトリック教会に上告の許可を認めることに対する拒否に鑑みて、私たちはしたがって自らの行動や活動を進める上で控訴裁判所の判決がその特定の事件のその個別的な事実に限られるものとみなし、そしてそうでなければこの国のキリスト教共同体は、これまでずっとそうしてきたように、マレーシア語を話す私たちの会衆に対する現在進行中の私たちの奉仕活動において、自らの聖書や礼拝、そしてキリスト教集会で「アラー」という言葉を使う権利を持ち続けると主張する。
我が国の裁判所ではこの問題に関するいくつかの事件が係争中である。私たちは、マレーシアにおける信教の自由や宗教的な表現の自由を支え守るために、これらが従来のものに代わる道をもたらすかどうか見ていかなければならない。
一方、私たちはマレーシアのキリスト教共同体に対し、大きく長引く逆境に直面しても自らの信仰と勇気を保ち続けるよう呼び掛ける。
敬具
マレーシア・キリスト教連盟常議員会議長
エウ・ホン・セン牧師・博士