2014年ペンテコステを迎える準備の一つとして、トマス・F・トランス著・小坂宣雄訳『空間・時間・復活』(1983年、ヨルダン社)を再読し、イエス・キリストの昇天の記事・事実の決定的な重要性を再確認しました。
昇天とペンテコステの結びつきは、ルカが伝える使徒の働きに見る、ぺテロの最初の説教において明示されています。
「ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです」(使徒2:33)
「そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。私たちはそのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です」(使徒5:31、32)
そればかりでなく、復活と昇天、さらに昇天と再臨の深い関係は、トランスが詳しく提示しています。
トランスの著作と共に、今年のペンテコステに当たり、もう一冊の本を読み始めました。リチャード・ボウカム著・浅野淳博訳『イエスとその目撃者たち 目撃者証言としての福音』(新教出版、2011年)です。
著者のボウカム教授と、1963年にゴードンで新約学の手ほどきをしてくださった、恩師ラムンゼイ・マイケル教授の学問的な関心の重なりに前から気付き、興味を持っていました。
「目撃・目撃証言」と「記憶」を手がかりに、ボウカム先生の大書を読み始めました。今、ルカの福音書の序文が、格別に心に迫ります。
「私たちの間ですでに確信されている出来事については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、・・・ 私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿。それによって、すでに教えを受けられた事がらが正確な事実であることを、よくわかっていただきたいと存じます」(ルカ1:1〜4)
ここから昇天の出来事を、ルカは目撃の対象として記述していると私なりに判断するのです。
「こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。そして、こう言った。『ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。』」(使徒1:9〜11)
この昇天の理解は、高挙・「全能の父なる神の右に坐したまえり」と結びつき、さらには主イエスの再臨理解と切り離せません。
P・ネメシェギ責任編集のレオ一世『キリストの神秘』において、昇天の記事・事実への驚くべき集中と展開を読み、書評を書いた40余年前を思い起こし、改めてヘブル人への手紙の勧めを心に刻みます。
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました」(ヘブル12:2)
(文・宮村武夫)
■ 2014年ペンテコステ—聖霊ご自身と聖書:(1)(2)