富雄の教会には、吉川絹江さんという七十代の忠実な信徒がいた。いつも祈り会に出席し、心を合わせて祈り、励ましとなってくれた。彼女は駅前で花屋を開いていた。
彼女は若い時に玉造の大問屋の長男に嫁ぎ、いずれは大店の女将さんとして差配をふるうことになっていた。ところが長男誕生の七ヵ月後、主人が肺ガンのために三十代の若さで亡くなってしまった。そうなると、立場は変わってしまう。姑は次男に後を継がせようと嫁いびりを始め、彼女は子どもを連れて実家のある富雄へ帰ってきた。実家は富雄でも素封家であったが、一度嫁いだ身は自分で生きなければと、明治女の心意気で、あらゆる仕事をしながら、子どもを養い育てた。息子の正彦さんの身体が弱く、結核に冒されていたこともあり、親子は山の中の掘っ建て小屋を借りて暮らしていた。(現在、富雄キリスト教会が立っている所は、吉川さん親子が住んでいた土地である。)
いつも近くの光さんというクリスチャンが、「吉川さん、今日は牧師さんが来て、家で家庭集会があるからいらっしゃい」と声をかけてくれた。だが、他宗教の布教師となっていた吉川さんは、一度も行かなかった。
やがて教会に導かれた正彦さんは、病身を気遣う母親の反対を押し切り、浸礼によるバプテスマを受けた。そして案の定、風邪をひいて寝込んでしまった。母親はそれ見たことかと怒ったが、三日後起き上がった正彦さんは、ほうきを手に取り、掃除を始めた。今まで何もしなかった息子の激変に驚いた彼女は、教会でイエス・キリストのことばを聞いた。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11:28)
主人の死以来、多くの苦労を重ねてきた彼女だった。青酸カリを息子に飲ませて死のうとしたことさえあった。宗教を遍歴し、傷つき疲れた心を、十字架の主は優しく包み、いやし、すべての罪を赦し、神の子とし、永遠のいのちを与えられたのだ。
その日以来、彼女の人生はイエス・キリスト中心になった。いつも聖書を読み、病の人のため祈った。話し下手の牧師のメッセージをいつもノートに取り、「アーメン」と大きくうなずきながら聞いてくれた。九十六歳の長寿を全うして天に召されたが、今でも彼女の信仰は、講壇を飾る美しい花として、あかしを続けている。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。