第5章 心傷つき病む子どもたちの癒やしへの道
そこで以下において順次、その癒やしへの道筋を辿りながら、コメントして参りたいと思います。
Ⅰ. 癒やしへの道 序論
さてここで“アガペーによる全面受容”という癒やしのミニストリーについて具体的に言及して行く前に、先ず初めに以下に記すような事柄を充分認識しておく必要があります。
その第一は、アガペーによる全面受容は、純粋な愛を動機とした献身的な真摯な人間関係の新創造に他ならないということです。なぜなら心傷つき病んでしまっている子どもたちは、特にそれがウルトラ良い子たちであった場合にはなおさらのこと、彼らは必ずと言ってよいほど両親や他者からの充分なアガペーによる受容に与ることができなかったという悲しい歴史を引きずっており、それゆえ彼らには今こそ新たに純粋で、真実かつ献身的な愛、つまりアガぺーによる全面受容にあずかりうる新しい親子関係もしくは人間関係の再構築、つまり新創造が必要となるのです。アガペーによる全面受容は、まさにこの必要に応えることのできる唯一、最良の道と言ってよいでしょう。
そこで第二の認識は、アガペーによる全面受容は、相手の緊張や不安、恐怖、苛立ち、憤り等の感情を和らげ、鎮め、必ず安息をもたらすという事実についての認識です。何と幸いなことでしょう。アガペーによる全面受容には、理屈抜きにかかる“和らげ効果”があります。
そして第三は、彼らがこのアガペーによる全面受容を継続的に受け続けて行くうちに、徐々に自らが癒やされ始め、安息と喜びと感謝を体験して行くことにより、彼ら自身が悩み傷ついて来た自分自身を優しく受容(自己受容)することができるようになり、更に素晴らしいことに、遂には徐々に他者を受容(他者受容)することができる者と変えられて行くという事実です。何と素晴らしいことでしょう。
その結果、彼らは彼らをアガペーしてくれる信頼しうる良き受容者の提言を受け入れることができるようになり、それと共に今までは自己にとって不安と恐怖を覚え、一向に踏み出しえなかった未知なる未経験の世界に対して、徐々に踏み込み始め、ついには自ら進んでその中に身を投じ、冒険的試みを繰り返すことができるようになって行きます。そこにこそ長い間待望してきた彼らの癒やしが見事に促進され、彼らが健常化するのです。
それと並行し、彼らはこの途上で徐々に自らの尊厳を認識し始め、先に極度の抑圧の結果か傷つき、かつ喪失して自尊心が回復され始め、その回復の度合いに応じて、先に述べた自己受容が促進され、かつこれに正比例して他者受容も増進されて行くのです。
またかくして様々な自己と異なった考えや自らが予測できない事柄、あるいは予測を遥かに超えた出来事や事柄に対して場馴れをすることにより、今まで何事にも極度の怯えや不安感及び恐怖心を抱いていた彼らが、徐々にそれらを克服して行くことができるようになるのです。何と喜ばしい“アガペーによる全面受容”の効果と癒やしでしょうか。
そこで以上のような幸いにして、喜ばしい認識と全理解をもって、これから記す“アガペーによる全面受容と癒やし”の道を喜びと期待をもって学んで頂きたいと思います。(続く)
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峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。