第4章 心病む子供たちの心の傷付くプロセスと諸症状
Ⅲ. 非受容と抑圧の果てのウルトラ良い子の諸症状
さて、以上のように見て来ると非常に残念なことなのですが、実に皮肉なことには生まれながらに平均的他者に比べて圧倒的に純正な良き性質をもってこの世で呱呱の声を挙げた「ウルトラ良い子」ほど、より早く、より深く傷つき易く、心病み、自己破綻し易いとも言えるのです。彼らはいわゆる人格障害や対人関係不全症候群を惹き起し易いのです。
その理由は、既にお分かりのように、この世の価値観が余りにも相対化、世俗化、唯物化し、かつ純粋なもの、本質的なもの、絶対的なものが見極め難くなっているからです。それゆえ本来「ウルトラ良い子たち」が持っている後者の性質と前者の世俗的価値観との間の落差が大きく広がり、両者の間の理解の乖離ゆえに「ウルトラ良い子たち」は、大きなストレスや抑圧を受け易く、徐々に傷つき病んで行くようになるのです。
その結果彼らは、哀れな自衛行為として、または自己の存在感確認行為として皮肉なことに異常行動を取らざるを得ないように異常心理に追い込まれてしまうのです。それゆえ彼らは、他人にとっては極めて迷惑千万な存在に陥ってしまうのです。
筆者はこれを「加害的被害者像もしくは現象」と呼んでいます。それが時には弱者への攻撃という形を取って、自己の存在感の自己検証を試みようとする屈折した心理現象を引き起こしてしまうのです。誠に人間は、甚だ悩ましい存在であると言えましょう。
さて、ここで異常心理、異常行動の一つの様態として、これまた筆者がしばしば「イラ切れ症候群」という呼称で表現している、彼らがしばしば惹き起こす典型的な病める症状があります。そこで以下においてこれに関して若干詳述したいと思います。
Ⅳ. 「イラ切れ症候群」とその特徴
A. 「イラ切れ症候群」とは何か
先ず「イラ切れ症候群」とは何かからお話ししましょう。心病み傷ついた「ウルトラ良い子」たちは、ちょっとした相手の言葉や行為に刺激され、突然苛立ち始め、激しく怒り出したり、暴れ出したりすることがあります。巷ではよく「もう我慢ができなくなり怒り出す」ことを「切れ」てしまうと表現しますが、「ウルトラ良い子」たちは、とりわけ我慢していた様子もない時にでも、突然苛立ち始め、切れてしまうのです。このような症状を「イラ切れ症候群」と言います。
B. 「イラ切れ症候群」の特徴
①これは比較的ウルトラ感性の強い人々に多い症状です。
②彼らは鋭敏な感性の持ち主であるゆえ、鋭い感性を持って物事を洞察することから、それに他者が気付かないと、彼らの心は激しく苛立つのです。
③彼らは、洞察した事柄について確信的であり、それを他者に期待し、要求する傾向があります。
④彼らは他者に対しては批判が鋭く、厳しい。しかし、自分自身のことに関しては全く省みる心はなく、謙虚かつ慎むことはありません。
⑤彼らは、そうせずにはおられず、自らの内に湧き上がる思いを抑制できません。
⑥一見極度にわがままで、自己主張が強いように見えますが、実は自己の思いの中に閃いた考えを、余すところ無く相手に伝えきらないと心が充足せず、かつ安息しないのです。
⑦彼らは相手がその思いに完全に共感(同意とは異なる)しないと彼らの感情の高まりが治まらないのです。
⑧彼らは聞き手が完全に自己の思いを理解し受け止めてくれたことを確認できるまで、あるいは自分が完全にその思いを相手に伝達しきれるまで同じ内容を何度でも繰り返し話し続けます。
⑨彼らは志向傾向が純粋である反面、事物の判断が一面的、単一的で、かつ平面的であり、また静止的です。それゆえ多面的、複合的、かつ立体的、力動的に、更には統対的、総合的に物事を判断できません。その結果、相手の高所大所からの判断を理解できず、それが不純かつ誤った判断に思えてしまいます。
⑩彼らは自尊心が強く、従って自尊心を傷付けられることを極度に恐れ、かつ幼少時代からの累積された抑圧とトラウマがあり、他者の言葉に過剰反応を示し、怯え、極度の不安を感じ易いのです。
⑪彼らは自己の思いの内に立ち上がった極めて狭められた視野の中で捕らえた考えを絶対化し、他者をその中に取り込もうとして極度に他者規制します。その結果相手を取り込めないときには、極度の不安や恐怖に陥り、苛立ち、遂に切れ症状を呈します。
⑫彼らは自己の判断に余ることや、自らが処し難い他者の要請や出来事に遭遇する時、これまた極度の不安を覚え、おじ惑い、かつ極度の苛立ちを覚え、泣き叫んだり、逆切れしたりします。
⑬彼らは極端なまでに自負心と羞恥心、他者批判と自己卑下、厳しさとやさしさ、理想主義と現実主義(世俗主義)、理屈っぽい大人びた言動と幼稚で稚拙な子供っぽさなどがその人間性の中に同居していて、それが時には自らの内で拮抗し自爆してしまいます。
⑭彼らは、失敗や過ちを犯した場合に、相手からそれを指摘されると、激しく逆切れしてその責任はすべて相手にあると責め立て、その謝罪がない限り、その心が安息できません。しかし、これと全く裏腹に、自分の心に若干のゆとりがある時は、意外なほど素直に自らの非を認めて謝罪することもあります。
なお、この他にもいろいろな症状がありますが、以上が彼らの主なる特徴です。(続く)
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峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。