世界一孤立した有人島としてギネス世界記録にも登録されている離島で、2010年から居住する司祭がいなかった聖公会の教会に、このほど新しい司祭が赴任することになった。
この島は、南大西洋に浮かぶ英国領トリスタン・ダ・クーニャ諸島の主島であるトリスタン・ダ・クーニャ。ほかに5つの無人島がある。トリスタン・ダ・クーニャ島は、最も近い有人地域でも、ナポレオンが幽閉されたセントヘレナ島から2429キロ、南アフリカ共和国のケープタウンから2085キロ離れている。もっとも、「世界一孤立した有人島」には別の解釈もあり、イースター島を挙げる説もある。
トリスタン・ダ・クーニャ・ウェブサイトによると、トリスタン・ダ・クーニャは活火山の島で野生生物がほとんどいないが、262人の英国市民が住んでいるという。外部との交通は、ケープタウンから出ている船のみで、航行に6日間かかり、その数は今年の場合、1年間で36本。しかも出航は天候に左右されるほか、訪問には同島協議会の許可が必要だという。
この島の公式英文ウェブサイト「トリスタン・ダ・クーニャ・ウェブサイト」は、「聖公会ケープタウン教区は、デンザル・スネル師がトリスタン・ダ・クーニャ聖マリア教会の新しい司祭に任命されたことを発表した。彼とその妻シニャティさんはケープタウンからトリスタンへ2014年5月9日に来船する予定である」と伝えている。
同島政府とトリスタン・ダ・クーニャ協会が運営するこのウェブサイトにはまた、「聖マリア聖公会は、2010年6月にクリス・ブラウン神父が離任して以来、居住する司祭がいなかったので、やっと任命がなされて新しい受禄聖職者が4年間の任期で就任することで、トリスタンでは大きな安堵が広がることだろう。居住する司祭がいなかった空白期間は、グラハム・バロウ師が1909年に離任した後にマーティン・ロジャース師が1922年に到着した時に次いで、最も長いものだ」と記されている。
「私たちは、スネル師の職務についてこのサイトやトリスタン・ニュースレターでお伝えするのを楽しみにしている」と、同ウェブサイトは付け加えているが、同師に関する詳細はまだ伝えていない。
また、南アフリカ聖公会ヨハネスブルグ教区の主教区報2014年4月号も、「トリスタン・ダ・クーニャ島の聖マリア聖公会の教区牧師に任命されたデンザル・スネル師に祝意を表すとともに、お別れを申し上げます。教区に対する彼の忠実な職務に感謝するとともに、新たな旅を始める彼とシニャティさんに神の恵みがあるよう願います」と記した。
トリスタン・ダ・クーニャ・ウェブサイトには、昨年、「聖マリア教会は教区牧師をまだ求人中です」「ケープタウン教区がたくさんの応募を受けたと理解しておりますが、2013年11月の問い合わせ以後、任命のお知らせは聞いておりません」と記されていた。
聖公会の英文ニュースメディア「チャーチ・タイムス」電子版は同年4月5日、「司祭求む、海の景色が見えます」という見出しでこの聖マリア教会の求人記事を2000語以上にわたって大きく掲載していた。
英国の主要紙「インディペンデント」電子版も、同年4月7日付で「世界で最も辺鄙(へんぴ)な教区が牧師を求む」という見出しの記事を掲載していた。
両紙によると、求人担当者のロルナ・ラヴァレロ・スミスさんは、同年3月、応募者には奉仕する「とても特別な場所」が約束されているとした上で、「もしあなたが神の近くに、そして自然の近くにいたいと思う職務をお探しでしたら、トリスタン・ダ・クーニャはあなたにぴったりの場所です」と彼女は述べたという。「南大西洋の真ん中にいて、生活を共にする人々の共同体を信頼するのもよいものです。神のみ声がより一層はっきりと聞こえます」
両紙はその一方で、1880年にエドウィン・H・ドッジソンという受禄聖職者が宣教師兼学校の教師としてこの島に任命された時のことに触れていた。それによると、初めは楽観的だったドッジソン氏の気持ちが失せてしまい、1884年に彼は「不自然な孤立状態」について記し、こう結んでいたという。「この島に住みつく理由などひとかけらもない。私の毎日の祈りは、この島を離れるための何らかの道を神が開いてくださるようにということだ」
しかし、1885年に船の事故で15人が死亡したことを知った後、彼はこの島に戻り、1889年までそこにとどまり、しばらくの間は俸給が全くなかったという。
なお、この島には、2つのカトリック教会もある。3月26日には、そのうちの1つである聖ヨゼフ・カトリック教会とローマ教皇、そしてバチカンのサン・ピエトロ大聖堂の写真が入った同島の切手一式が額縁入りで同教皇に贈呈された。
また、2008年には、3月27日付で同島の新聞「トリスタン・タイムズ」電子版に「トリスタン、復活祭の週に新しい島民を受け入れる」という見出しの記事がトップ記事として掲載された。